さて,
「旅行」であったという前提で書いたものに続けて,別なことを書く。
というのは,イラクが観光旅行ができる状況ではないということは,特に熱心にニュースをチェックしていなくても,充分わかるだろうからだ。
今この時期にイラクに「旅行」というのが,「理解に苦しむ」「無茶なこと」であるのはまさにその通り。
だが,というか,だからこそ,「旅行だった」という情報を受け取った側で,「だから最近の若い者は……」みたいな(←ちょっと違うか)方向に行くか,「ほんとに旅行だったのか?」という方向に行くか,というのはある。
日本国政府は今のところ前者の方向のようだが,国のトップがそんな思考回路だとしたら,ちょっと恐ろしいぞ。
というわけで,「旅行」という表現は,これは何だろうね,今回の場合。英語から日本語に訳されたものなら「travelを『旅行』と訳したんだろうな」と思われる場合もあるのだが,今回は最初から日本語だし……。
誰が「旅行」って言ってたんだっけか?と思って改めて調べてみると,出てくる記事はまずは外務大臣――「なぜそういう旅行をしたのか理解に苦しむ」とコメント。これは,「そういう旅行」という以上は,何らかの文脈がある発言だ。それから,アンマンで会った映画監督さん――
「『今からイラクに行く』と言うのでジャーナリストかと思ったら旅行者だった」と話す。「旅行者」というのはこの映画監督さんの〈判断・結論〉であるようにも読める。
これらからは,「旅行」という表現をご本人が自分を語るために使っていたのかどうかは定かではない。
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