2004年09月29日

ある男のレジスタンス――「なぜ私は反米になったか」

またまた例によってあっちとの二重投稿。英オブザーヴァーのジェイソン・バークがバグダードのレジスタンス(サドル派ではない人)にインタビューをしたもの。じっくり時間をかけて読んでください。----記事開始----

ある男のレジスタンス――「なぜ私は反米になったか」
One man's resistance: 'Why I turned against America'
Jason Burke in Baghdad
Sunday September 12, 2004
The Observer
http://observer.guardian.co.uk/iraq/story/0,12239,1302772,00.html

「自分の国が占領されているのを見る,それ以上の恥はない」

ある日の早朝。設けるべき検問所が多すぎて警察の手は回りきっていない。アブ・ムジャヒドは車の下側に迫撃砲を縛り付け,バグダード中心部の友人宅を訪問し,その迫撃砲を友人の庭に埋める。夕方,アブ・ムジャヒドはグループのメンバーたちを連れて友人宅に戻り,数時間睡眠を取り,それから埋めてあった迫撃砲を取り出す。彼は米軍の地図と衛星写真――バザールで買ったもの――を用いて射程を計算し,軍の基地,あるいは米国大使館に向けて,またイラク首相府を狙って,何発かを発射する。それからアブ・ムジャヒドはシャワーを浴びて服を着替え,午前10時には主要官庁の自分の席に座っている。

先週,バグダードのあるホテルで,Observerはアブ・ムジャヒドにインタビューを行った。30代でぽっちゃりとした坊主頭の男性で,茶色のスポーツシャツを着てスラックスを履き,安っぽい偽物のブランドのバックルがついたベルトをしている。彼は「占領」と戦っている生活を語ってくれたが,その内容は寒気を覚えるようなものだ。インタビューは3時間にも及び,次のことが語られた。

・彼のレジスタンス・グループは,独学のスンニ派イラク人によって構成され,ほぼ完全に独立した(どことも関係がない)グループであり,攻撃目標やタイミングは自分たちで選んでいる。しかし時々,宗教「指導者(シャイフ:sheikh)」から広範な戦略指示を受ける。ただしグループのほとんどはこの「指導者」には一度も会ったことがない。

・グループは欧州のイラク人から資金を提供されている。資金提供しているイラク人の中には英国在住者もおり,またサウジアラビアの富裕層で共感している人々からの資金提供もある。

・グループはアルカーイダ系「外国人戦士たち」やシーア派民兵と組むことを拒絶している。

・グループは連合軍内部の「友人たち」から情報を受け取っている。

・グループは対スパイ作戦を実行し,この数週間の間に2人をスパイ容疑で処刑した。

・グループは段々と洗練されたテクニックとプランを習得しつつあり,やがてはバグダードで大きな爆弾(複数形)を爆発させる。

アブ・ムジャヒドはまた,自分たちに対する治安作戦が続いていることの困難を語り,多くのイラク人は彼らの行動を支持していないと認めた。アブ・ムジャヒドの説明したことの多くは,いくつもの独立した情報源からも裏付けが取れている。

イラクにいる情報専門家たちは,反乱(insurgents)のタイプには大きく3つあると言う。1つはシーア派のマハディ軍で,彼らはラディカルな主張をするムクタダ・アル=サドル師に従い,バグダード北部【=サドルシティなど】やイラク中部の聖都ナジャフ,また英国が管理する南部の港バスラでのレジスタンスを主導している。これとは別に「アルカーイダ」がある。これはイラク人以外の民兵たちで,聖戦を戦うためにイラクに入った者たちである。そして最後に,「前政権を支持する者たち」,つまりサダム・フセイン,あるいはそれが不可能であるならば,フセインのバアス党の復権を望んでいると言われる者たちである。

そういった分析をする人たちにとっては心配なことに,アブ・ムジャヒドはこれらのわかりやすい分類のどれにも当てはまらない。まず,侵略の前は彼は米国を支持していた。「前政権下で息をする方法といえば,アメリカ映画を見てアメリカの音楽を聞くことだけでしたしね」と彼はいう。彼はボン・ジョヴィのファンだった。

「(アメリカの映画や音楽から)もっといい生活というのはどういうものか,少し見えました。アメリカ人がイラクを解放するためにやってくると聞いたときはとても嬉しかったですよ。これでもっとよい生活が送れる,旅行したり自由を満喫したりできる,そう思いました。私はもっとスポーツをしたかったし,新しい電気製品も新車も欲しかった。自分の生活を良くしたかった。アメリカはここに来れば,私たちの生活は180度変わるだろうと思っていました。」

そして彼は,友人が密かに輸入した衛星テレビを通じて,戦闘や爆撃による民間人犠牲者の「野蛮で残忍な」映像を見たときに,米国を信じる気持ちが揺らいだのだと語った。そしてその次の衝撃は紛争直後の混乱状態だった。バグダード中で略奪が行われた。

「人々が何もかもを持ち去っているのに,米兵たちは突っ立って見ているだけで何もしなかった。それを見て私は,アメリカは私たちを助けるためにここに来たわけではないのではないか,私たちを破壊するためなのではないか,と疑うようになりました。」

アブ・ムジャヒドは本名ではない。本当の名前はObserverにも告げられていない。

「私はあれもただの戦争の混乱だろうと思っていました。けれども状況はますますひどくなりました。良くなるのではなく。」

そう思ったのは彼だけではなかった。すぐに彼はバグダードのアダミヤ地区で同じ怒りと失望を感じている多くの人々を見つけた。時は来た。「私たちは悟ったのです。行動すべきであると。」

前もって計画されていたことは何一つなかった。サダム・フセイン配下の勢力は負ければ「ゲリラ戦」を仕掛けてくるだろいうという予測は,特に米国高官の間にはあった。しかしアブ・ムジャヒド――彼は自分のことを「ムスリムではあるが宗教心は篤くない」と言う――やグループのメンバーたちは,いかなる計画も立てていなかった。彼らの行なったことはすべて即興だった。そして彼の7人編成のグループはそれぞれ違った動機を抱いていた。「ひとりは国のために戦っていました。別なメンバーは原理原則のため,そしてまた別のメンバーは信仰のために。」

特筆に値するのは,彼のグループには兵士の経験がある者が数名いて,昨年異論を押し切って連合軍がイラク軍を解体したことに腹を立てている,ということだ。アブ・ムジャヒドのように軍歴のないメンバーは,給料をもらって政府の仕事をしている。この小さなグループはより大きな組織の一部ではなく,名称もない,と彼は言う。「私たちはただの住民ですよ……いくつものグループを束ねるシャイフはいますが,それが誰なのか,私は知りません。」

活動当初,グループは装備もなくノウハウもなかった。「何件か,気をつけて声をかけてみました。武器を提供してくれた人もいましたし,略奪したものを私たちに売ってくれた人もいました」と彼は言う。また,グループは専門家を探し出した。多くの場合はかつて軍将校だった人たちで,爆弾製造や通信について指導をした。

このグループの最初の作戦は昨年6月に行われた。アダミヤ地区の米兵3人を襲撃する計画だった。散々な結果だった。「とても混乱して恐ろしくなり,無茶苦茶に発砲したのです。米兵たちは隠れ,私たちは走って逃げました。」

その次の作戦はそれよりはうまく行った。米軍車列の先頭の車両が,彼らが道路に置いた対戦車地雷を踏んだのだ。「あれで運転手が死んだと思いますよ。地雷は戦争中に軍が使っていた家屋で見つけました。アメリカ人はああいう種類の爆発物は予想していませんでした。」

その後数ヶ月にわたり,グループは戦術を変えた。「ある日には米兵を狙撃しようとする,その次にはIED【手製爆弾などのこと】を使う,その次は地雷。私たちは誰からも命令を受けていません。ただ『今日は何かをしなければならない』と言われるだけですが,何をいつ行うかを決めるのは,私たち自身です。」

黒人兵士は特に標的になる。「ニグロに占領されているなんて,ひどい屈辱ですよ」とアブ・ムジャヒドは言う。中東の多くの地域で蔓延している根深い人種差別が感じられる。「ニグロがいないから任務を中止したこともあります。」

この1年で数百人のイラク人を殺した多くの民兵たちとは違い,アブ・ムジャヒドは自分のグループは地元の人々を殺さないように注意しているのだと言う。「バグダード中心部でもっと大きな爆弾を使うことを計画しています。しかし難しいですね,一般市民がたくさんいますから。」

誰も彼もが民兵を支持しているとはとても言いがたい状況だ。新たなメンバーはそんなに来ないし,経済的にも厳しい,とアブ・ムジャヒドは認めた。「以前は銀行や銀行の送金を使えたのですが,難しくなってきていますね。支持者たちがサウジアラビアやヨルダンで車を買い,それをバグダードやバスラまで運転してきてもらって,それを売る,ということがよくあります。英国にいる支持者の方はこの前オペルのピックアップ・トラックを送ってくれました。しかし私たちのお金のほとんどは,私たちのしていることを支持しているが自分では戦えないという地元の人たちからのものです。」

戦術は資源(使えるもの)に依存する。この8月にナジャフで米軍とマフディ軍の激しい戦闘があって在庫が底をついたため,RPGの価格は跳ね上がった。ミサイルの価格は,バグダード北部のシーア派地域であるサドルシティの市場では25000ディナール(£10相当)になっている――戦争直後の価格の10倍だ。アブ・ムジャヒドのグループは数日おきに1度しか攻撃ができない。

スパイもいる。アブ・ムジャヒドは「連合軍内部の友人たち」からの情報のことを得々と語るが,彼のグループはアダミヤ地区内部で情報屋と疑われた人物2人を処刑していると言う。うち1人の処刑からはまだ3週間も経っていない。処刑は1ヶ月にわたって偵察をした後のことだったという。「その男には妻と子どもがいましたが,悪いことをしたとは思いません。奴はキツネでした。膝まずかせ,頭を撃ちました。」もう1人,スパイ容疑のある人物が脅迫され,バグダードから逃れている。

西側の情報当局の分析官たちは,いくつものレジスタンス・グループがひとつになるのではないかという懸念を抱いている。しかしアブ・ムジャヒドはマハディ軍のことを「イラクに入るアメリカ人を花で歓迎し,それから略奪に出かけていったちんぴらや売国奴」【注:略奪を行ったのはサドルシティなどスラムの住民たちだった】として一蹴し,海外から来たイスラム民兵と結ぶことはもっと悪いと言う。

「いかなる集団とも忠誠関係のないグループもあり,一方では資金がふんだんにあるグループもあります。アルカーイダに違いありません。彼らと一緒にやることは不可能です。血の気が多いだけ,あまりに非理性的ですから。何も関係のないイラクジンを殺したかどうかなど気にかけちゃいない。彼らはテロリストです。」

先週,イラクでの米軍死者数が1000の大台に乗った。ほとんどは戦争終結後にアブ・ムジャヒドのような男たちの行為によって殺された。工学を学ぶ学生だったアブ・ムジャヒドは,自分たちのグループが何人殺したかを把握していない。「何に命中したかはまったくわかりませんから。25人は殺したと言ってもいいかもしれませんが,率直な話,わかりません。5人とか6人とかかもしれませんし。」

「兵士たちはここに来る以外に選択肢はないのだということはわかっていますし,どの兵士にも家族や友人たちがいるということもわかっています」と彼は言葉を続ける。闘争に対する彼の正当化は,政治的・経済的な嘆きと,傷つけられた誇りとがごちゃごちゃになって,首尾一貫性がない。「私たちは占領下にあります。彼らはモスクを爆撃し,莫大な数の人々を殺している。自分の国が占領されているのを見る,これ以上の恥はないですよ。」

暫定政権のアラウィ首相のことは,アブ・ムジャヒドは「アメリカのバービー人形」であると一蹴した。しかしそれから,もしみなが「満腹」していれば,誰も戦ったりはしないだろう,と言った。

「イラク人が最優先しているのは,自分の家族によい暮らしをさせることです。私の家は月々の家賃が25万ディナール(£100相当)弱で,私には子どもが4人います。家賃を払い,医療費を払わなければならないし,妻は妻で必要なものがある。家だって必要なものがある。なのに鶏肉1キロが2500ディナールするんですから。」

「米国や英国は私の敵ではありません。米国人も英国人も,個人としてはとてもいい人たちばかりです。しかし占領軍とは戦い続けます。それしかしようがないんです。」

そう言ってアブ・ムジャヒドは立ち去った。私たちはもう二度と彼に連絡しないように,と言われた。

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posted by nofrills at 19:48| voices_from_iraq | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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