2004年08月15日

私は明日殺されると考えているだろうか。

テレビを見ながらこう考えた。私は明日死ぬかもしれないと思ったことがあるかもしれないが,明日殺されるかもしれないと考えているだろうか。

私が見ていたテレビでは,日本のフリージャーナリストたちが撮影した戦場の映像が次々と映し出され,ジャーナリストたちの表情としぐさが次々と映し出され,ジャーナリストたちが語っていた。

「ETV特集 戦場から伝えるもの・フリー映像ジャーナリストたちの記録」
08/14(土) 後10:00〜後11:30  NHK教育翻訳をするときに定型表現を使いながら「歪めてるな」と思うことがある。Killedという表現だ。6 killed, 8 injuredは「6人死亡,8人負傷」というように訳すのが定石だ。だが,彼らの死は「死亡した」という〈自動詞〉ではない。「殺された」,つまり「殺す」という〈他動詞〉の受動態だ。

私はこれを,「be surprisedという表現にあるような日本語と英語の発想の違い」として流してきた。深く考えないようにしてきた。深く考えそうになると,考えないように努めてきた。

本当はそうじゃないことは知っていたのに。

私は時々,明日死ぬかもしれないと考える。特に生命の危機に瀕したこともない人間の傲慢だが,切迫感もなく漠然とそう考えることがある。(なぜかは書かない。それは人々と広く共有するたぐいの話じゃないからだ。)

だが,私は,明日殺されるかもしれないと考えているだろうか。

「死ぬ」ことと「殺される」こと。イコールで結ぶにはあまりにも違いすぎる。

ということを,テレビの中の「戦争を日常として生きる人々」を見て考えた。

番組を見ながら,私はぼろぼろに泣いた。10日の元米兵メディナさんの話,12日のイラク人イブラーヒムさんとムハンマドさんの話,Riverbendのウェブログ,Faizaのウェブログ,Raedのウェブログ,Khalidのウェブログ,Majidのウェブログと彼の立ち上げた新聞の記事,米兵のウェブログ,パレスチナ,その他ネットや書籍で読んだあれこれ,さらにその他のいろいろなことがオーバーラップしてきて,一種のフラッシュバックになった。

ここ数日,お話を聞きに行ったりして「メモ魔」になっているので,私は番組が始まる前から,ノートとペンを用意していた。それが幸いして,耳と目からのインプット過剰とフラッシュバックでいっぱいいっぱいになったものは,手とペンから紙に向かってアウトプットされた。

以下,アウトプットされたもののメモ。聞きとって,書き留めたもの。これは,できるなら多くの人々とシェアしたいと思う。

「(ミサイルや航空母艦などの映像から)我々の見ている戦争って何だろう?」――西谷修さん

「ブッシュとフセインの戦争であっても傷つくのは市民」――ナレーション

そして,傷つけるのは“元市民・現戦闘員”――私

「(バグダードの市場の誤爆について)『誤爆』というけれど,間違っちゃったよっていう話か。間違いで殺されたらたまらない」――豊田直巳さん

映像メモ:病院を訪れた豊田さんを撮影するテレビカメラ。そこに,「ムスタファはどこ」と言いながら駆け入る母親。状況を説明する父親。向かい合って話をする母親と父親の後ろを通る青年が,冷たい冷たい目をカメラに向ける。

「サダム像を引き倒す儀式」――西谷修さん

映像メモ:バグダード路上。検問。米兵たち。白人がほとんど。ひとり,ぷるぷるのお肌,つややかなお肌の米兵。青い目,白人。せいぜい18歳?

「見てくれたあなたはどう思うの?という写真」――豊田直巳さん

「爆弾が何をもたらすのかを報道するのが戦争報道」――広河隆一さん

「加害者は必ず被害者を隠す」――広河隆一さん

映像メモ:広河さんの撮影したパレスチナ難民キャンプ。殺された人々の遺品を並べる展覧会。日本でも開催。会場の様子。たくさんの人。中に30代半ばくらいの母親と小学校3〜4年生くらいの子ども。(この母と子は今は何をどう考えているのか? 「しかたがない」と思うのか?)

「おれ,自爆テロって言わずに自爆作戦って言うんだけどさぁ」――亀山亮さん

「それを見てしまった者の責任」――森住卓さん

それを読んでしまった者の責任,か?――私

違う,責任などではなく,アウトプットしないと私がどうにかなるからだ――私

「映像として伝えるものを探している自分を,いやしいと思う一方で,『あっ,すごい写真が撮れる』(という葛藤がいつもある)。ひどければひどいほど,伝えられると燃えてしまう。非常に複雑ですね……」――森住卓さん

「(沢田教一のピュリッツァー賞受賞作『安全への逃避』について)アメリカらしい(題名のつけ方だ)」――広河隆一さん
#彼らは彼らの村から逃げ出してきた。なのに,「こちら側には安全がある」というタイトルをつけている,ということについて。

「(アブグレイブの拷問スナップショットについて)戦争の悲惨さではなく,自分たちの醜さを感じる写真」――広河隆一さん

「鏡/自分たちは何者なのかという意識」――広河隆一さん

「写真とは,写されたものだけでなく,どうしてそんなものが写されたのか」――西谷修さん

映像メモ:高速道路の「ファルージャ」という標識。モスクのミナレット。一部欠けている屋根。「モスクが銃撃されています」という声。小川さん。

映像メモ:道路。検問。前にマツダの車。破壊された街。墓地。ここはおそらく元々はサッカーグラウンド。地面に近いところにカメラを持ってきて墓標に焦点を合わせる。

「スナイパーがおもしろ半分に人を殺す,手当たり次第に爆撃する」――小川功太郎さん

「これはもう,戦争というより虐殺です。罪のない無実の人間を殺す,これこそテロ以外の何ものでもない」――小川功太郎さん

「イラクがなければ……。イラクがあったから……」――小川功太郎さんのお父さん

※小川功太郎さんの書かれた文章は,こちらで全文読むことができます。(DoXさんの7月27日のエントリ経由で知りました。)

■追記:
番組に出演されたジャーナリストの方々が所属している日本ビジュアル・ジャーナリスト協会のサイト。8月21日から30日にに東京都美術館(上野)で開催される写真展についての情報や,広河さん,豊田さん,森住さん,土井さん,古居さん,亀山さんたちの書いた文章があります。
posted by nofrills at 01:09| i_dont_think_i_am_a_pacifist/words_at_war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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