2005年05月25日

「大事件」として取り上げられることのない大事件がいったいいくつあるのだろう。

いくつかの非常に悪辣な行為が同じところから発した場合,そのうちの1つだけを意図的にクローズアップすることによって,他のものを目立たなくするという手法がある。「イラクにおける米軍の拷問」→アブ・グレイブ然り(あのようなことが行なわれていたのはアブ・グレイブだけではない),「ファルージャでの殺戮」→モスクでの非武装者銃殺(参考)然り。

1970年代前半の英軍による行為について,30年を経過して改めて見たときに,「アブ・グレイブ」的役割を果たしているのが,英軍にとって“教訓”となっている,1972年1月30日のデリー(ロンドンデリー)における,いわゆる「ブラッディ・サンデー(血の日曜日)」事件であるように,私は最近感じている。(←リンク先はDVD。書籍もありますが私はまだ買ってない。)映画『ブラッディ・サンデー』の共同制作者であるドン・マランは,この事件の目撃者なのだが,彼にはもうひとつ,重要な著作がある。

The Dublin and Monaghan Bombings

1974年5月17日,アイルランド共和国のダブリンとモナハンで爆弾が爆発。ダブリンでは25人が死に,モナハンでは6人が死んだ。(→参考

爆弾を仕掛けたのは,北アイルランドのロイヤリストの武装組織,UVFだった。(UDAと書いてある資料もある。)

この爆弾テロのことは,私はTim Pat Coogan, "The IRA", Palgrave, New York, 2002で知った。25章(447ページ)に書かれている。

同じページの脚注にロバート・フィスクのThe Point of No Returnのことが書かれていて,それで私はこの分厚い書物のこのページに紙を挟んである。

……わ,この書籍,amazon.co.jpで買えるじゃん。前に.comか.co.ukで探したときになかったので諦めていた。

閑話休題。

1974年にUDAがアイルランド共和国に仕掛けて31人を殺した爆弾については,2003年にこんなバックグラウンドが報じられている。(ガーディアン記事をpfcが転載したもの。)
A report into the bloodiest day of the Irish Troubles is expected to reveal today that British security forces helped loyalist paramilitaries to bomb the Republic of Ireland.
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Three perfectly timed car bombs killed 26 people and injured hundreds more during rush-hour in Dublin on May 17 1974, in what was described as "daylight hell". An hour later a stolen car exploded outside a Protestant pub in the border town of Monaghan, killing seven people. It was the biggest mass murder in the history of the Irish Republic. No one claimed responsibility for the slaughter, and no one has stood trial.
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After years of pressure the Irish government finally gave in to calls for a wide-ranging investigation into the attacks, which security experts believed loyalist terrorists were incapable of carrying out unaided. The retired supreme court judge, Henry Barron, who has spent three years compiling his report, is expected today to draw conclusions on how British intelligence worked alongside the Ulster Volunteer Force to plan the blasts. At least three of the bombing team, all now dead, have been identified as paid informers.


つまり,爆弾を仕掛けた武装組織メンバーの背後には,英国の情報当局の援助があった,というわけだ。

そのまんま「国家テロ」であり「テロ支援国家」である。

なぜこの件について急に書いているかというと,さっきThe Blanketを見てみたら,こんな記事が5月22日付で上がっていたからだ。
As a Green Party MEP she tried 'without success, to get the Dublin Monaghan bombings on the agenda … how must the relatives feel when they see so much political and media effort going into this one case while theirs has been covered up and ignored for so many years?'


この記事は,アンソニー・マッキンタイアが書いたもの。彼については過去にウェブログで書いた気がする。

これ(↓)を読んで,何も書かないわけにはいかないからこのエントリを書いた。
The European parliament is concerned not with justice but with using a justice issue to apply pressure for the purpose of securing a political objective. That objective is to bring the interminable peace process to a conclusion.


こんな事件が一体ほかにいくつあるんだろう。

そしてお気楽な旅行者でしかなかった私は,「テロといえばIRA」とナイーヴに思ってた時期が長いのだ。当時はネットもなかったし洋書も入手するのが大変だった(探すのでさえ大変だった)とはいっても,今思うと,知らないこと・知らされないことのおそろしさにぞっとするわけだ。

そういったことがあるから,自分には微々たる力しかないけれども,「知らされない」ことがないようにと思ってやってるのかもしれない。

例えば,今のイラクについて,「テロリストの攻撃で民間人がこんなにたくさん死んでいる」という記事は毎日たくさんある。しかしその一方で,米英の言う「テロリスト」ではない勢力の攻撃で民間人はどんだけたくさん死んでいるのか――検問所(米兵)やら強制捜査(米兵,イラク兵=こないだまで民兵だった人々も多い)やらで――その統計数値すら,ない。(実は米軍は統計を取っているらしいけど。)

圧倒的な無力感と,歴史的文書の形で出るまでこのまま待つしかないのかという憤りとイライラと。ベルファストとベルリンとバグダードが頭の中でシンクロする。(ベルリンでは潜入工作がさかんだった。)(←ちなみに,頭韻を踏んでみただけです。)
posted by nofrills at 02:10| todays_news_from_uk/northern_ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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