2003年12月18日

「なぜ」についての話〜『二本山の兄弟犬』翻訳P

【翻訳プロジェクトの説明&連絡用ページはこちら】(右側の「最近のエントリ」では2ページ目に回ってしまいました。)

翻訳プロジェクトの方が実務段階に入っているので――っていうか基本的には私が勝手に(著者の意思を確認した上で)やってるんだけど――,集中して一気にやってしまいたい(仕事との兼ね合いもあるので)ところですが,ちょっと脱線します。

「なぜ」の説明ができてないのでそれをします。ついでに「誰が」も説明します。英文チェックなどをしてくださろうという方々へ向けて。

1行で書けば,「私が伝えたいのは,DoXさんのことばです」ということです。長くかいたものは続きをお読みください。■私について:
まず,私はどの団体にも所属していないし,支持政党もありません。(仕事でも完全に単独です。あえて言えば高校と大学の同窓会には入っていますが,会費は卒業の時に納め,あとは会報を拝読してるだけです。)宗教は「葬式仏教」で教義はほとんど知りません。

つまり,私は誰の利益も代弁していません。私に協力することは,私にとっては「助かります!ありがとう!」ですが,それ以上の直接的広がりはありません。金銭や物でのお礼もできません。(ごめんなさい。)できるのは成果物だけです。

今回のプロジェクトでネットワークっていうか人と人のつながりができるだろうけれど,それは結果であって目的ではありません。つまり私は「○○派」を作りたいわけではありません。

これが私のスタンスであり,約束です。

※必要なら,ここを借りたときの自己紹介12月に書いた但し書きなどもご参照ください。

■なぜ翻訳しようと思ったのか:
DoXさんのblogは,11月末に始まった時から読んでいました。最初のエントリである「ある自衛官の家族の吐露」は「チャンネル北国tv」の新着で見つけてクリックし,しばらく固まっていました。

私はそれまで自分の意見を持ってませんでした。他人様の「自分の意思で入ったんでしょ,いやなら辞めれば」という意見にもふむふむと思い,しかしそれをそのまま自分の意見にすることはできず,一方でいわゆる反対派の「殺すな殺されるな」というスローガンはぶっちゃけ話のすり替えだと思っていて(これは今でもそうです),要するに「イラクへの自衛隊派遣」についての自分の立ち位置が定まりませんでした。(「そもそも米英が嘘ついて始めた侵略だ」は基本ですが,それと「自衛隊をどう考えるか」は軸が違います。それをごちゃまぜにして混乱してたわけです。)

正直,「ある自衛官の家族の吐露」というエントリに何が書かれているかを見るのは怖かった……「仕事で行くのだから」と言う自衛官の姿をテレビで見ていたから,「自分の意思で入ったんでしょ」という考えにふむふむと思う自分が確定されるかもしれない。しかし,そのエントリにはそんなことは書かれていなかったのです。

読んでいるうちに,大学を出て家族を支える必要もない自分が,とても悪いことをしているようにも思えました。とは言っても「責められている」とかではなく,もっと違う何か……。

それは何だろうとしばらく待っていると,高校の時に私よりずっと勉強家で成績のよかった同級生が,お父さんが病気で亡くなったために,進学を諦めたことを思い出しました。その同級生はある大学を受験して合格し,そして入学金を払わずに就職しました。おそらく私より優秀な成績で合格していただろうのに。授業料免除の特待生待遇もありえたかもしれません。しかしその同級生は,突然,来月の生活費を稼がなければならなくなったのです。その同級生は「自分の選択で大学に行かなかった」のですが,それは「自分の意思で大学に行かなかった」と言いかえられません。(なおこれは,昭和の終わりごろの出来事です。)

DoXさんのお兄さんにとっての「自衛隊に入るという選択」がリアルに感じられました。

その後,更新されるたびにエントリを読んで,自分が受けた衝撃をどう発散してよいものやらわからなくて,友人にメールでURLを紹介したりしてきました。でも,「大卒」である私にはDoXさんに向けて何かを書くことはできなかった。私にはこの人のところで物を言うことはできないと思ってました。その壁を超えることができたのは,ここに「犠牲になっていい命などない」という一言があったからです。そのエントリに私は初めてトラックバックしました。

12月11日のエントリには,お祖父さんとのことが書かれていました。そこに浮かんでいる生身の人間は,もう「自分の意思で」とかそんなんじゃなかった。言葉にすることができませんが……。

今,「いやなら辞めればいい」は,自分のことに関してのみ使えると私は思っています。それも気分を楽にするためのマジックというか,「うまく行かなかったらやり直せる」という意味で。

他人様に対して「いやなら辞めればいい」と言うことは傲慢だし(自分は関係ない,あるいは,いやじゃないし辞めないというのが前提なのだから),時には暴力になる。私は「いやなら出ていけ」と言われたことがあります。私が出ていけないことを知っている相手から。その時の屈辱,その時の悔しさ,それを知っています。

ここまできて,これは同情じゃなく共感なんだということがやっと確信できました。半月かかりました。

これは私個人の問題です。ハンドルではなく,本名の私の。

私の思うことや考えを他人様に押しつけたくはないです。そう受け取られてないことを祈るばかりです(どう解釈されるかまでを完全にコントロールすることはできませんが)。

「イラクの人にお願いしたい。」において,はなゆーさんが「アラビア語に翻訳してイラクの人に読ませたいですね。その方策を考えませんか」とおっしゃったのを見て,「英語ならできるから」と反射的に手を挙げました。

これを私がやってしまうことが独断専行であることは心配になりました。

しかし……ここから先は極めて現実的な話ですが……私にも仕事があります。しかも暇な時期ではありません。多くの人を取りまとめて,誰がどこからどこみたいな分担を決めて管理進行している余裕はありません。私は仕事としては印刷物の編集などをしていますが,無味乾燥な(と私には思える)論文集であっても,複数の人が関わったものは,用語の一貫性や文章の雰囲気の統一をはかる作業がそれだけで一工程になるほどです。

ひとりですべてをやりたがっているわけではなく,ひとりでなければ時間的にも労力的にも無理になるのです。どうかご理解ください。

誰か他の人が言い出すのを待っていれば,それだけ遅くなります。基本計画が閣議決定まできている現実を見て,時間はもうあまりないと私は判断しています。

つまり,これは「DoXさんに共感した私が許諾の上で単独でやっていること」であり,「単独ではできない部分を他人様にお願いできると(私が)助かる」ということであり,「私は私でしかなく,どの団体もどの主義主張も代弁しない」,「私は私の考えを広めるためにやっているのではない」が前提です。

私が伝えたいのは,DoXさんのことばです。

ただそこに「人に伝えたい」というDoXさんのことばがあって,その思いの前に「言語の壁」があるのなら,その壁が本人ほどには壁ではない人間がここにいるではないかと,そういうことです。

例えば友人のバンドのライヴの会場に英国人なり米国人なりがきていて「複雑な英語わかんないからちょっとお願い」と言われた時に間に入る(実際にやっています)のと同じことです。
posted by nofrills at 09:52| 完了_special | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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