2003年08月29日

トニー・ブレア@ハットン・インクワイアリー

あっちにもこっちにも記事があって逆に大変なブレア首相の証言の内容は,ハットン・インクワイアリー(独立調査委員会)のウェブサイトで読めます。→議事録の書き起こしと思われるもの。マスコミの記事は,要点をまとめてくれていてそれはそれでありがたいのですが,私は「政治的言語」に関心を持ってみることにしたので,あらかじめまとめられたものではなく,オリジナルの発言を見ることにしました。それに対するほかの人々(保守党とかLibDemとか)の反応だけはマスコミの記事に頼りますが。

トランスクリプトはこれ。文脈変えるな,歪めるなが引用の条件なので,必要な箇所をまんま引用し,日本語は参考までにつけるだけです。

まずは,2002年2月に関して,We have heard that a dossier was being produced in February 2002 which related to four countries, one of which was Iraq. というのが出てきます。2002年から「4ヶ国」に関する書類が準備されていた。02年2月といえば,米大統領の一般教書演説の「ならず者国家」発言がなされた直後。その時期には,9-11以降の「国際テロ」に対して米英ががっちり手を組んでいたということ。

02年2月の書類について説明を求められ,ブレア首相からAfter September 11th there was a renewed sense of urgency on the question of rogue states and weapons of mass destruction and the link with terrorism, and there was some thought given to trying to bring all that together, identifying the countries that were a particular source of concern to us, one of which was Iraq. という,判で押したような答え。

02年2〜3月に,その中のイラクだけを問題とする方向に行ったことについて,ブレア首相はAgain, as I say in my witness statement, I think given history Iraq was a special case. It was in breach of United Nations resolutions. It had a history of using weapons of mass destruction against its own people. So there was a sense that Iraq as it were fitted a special category. と,これまた判で押したような答えをしています。

02年3月に発表される予定だったその書類は,首相と外相の判断により発表されることはありませんでした。

02年9月の状況を,ブレア首相は次のように説明しています。

First of all, there was a tremendous amount of information and evidence coming across my desk as to the weapons of mass destruction and the programmes associated with it that Saddam had. There was also a renewed sense of urgency, again, in the way that this was being publicly debated. I recall throughout the August break last year literally every day there were stories appearing saying we were about to go and invade Iraq. Military action had been decided upon. President Bush and I had a telephone call towards the end of that break and we decided: look, we really had to confront this issue, devise our strategy and get on with it and I took the view, in the end, and said this at the press conference I gave in my constituency on 3rd September, that we really had to disclose what we knew or as much as we could of what we knew. That was because there was an enormous clamour. Here we were saying: this is a big problem, we have to deal with it. Why did we say it was a big problem? Because of the intelligence. And people were naturally saying: produce that intelligence then.

つまり,サダム・フセインの大量破壊兵器やその計画についての情報がどんどんと来て,世間でも話題になるようになっていた。中にはイラク侵攻(invade)や軍事行動が決定したという話まであった。(他人事のように……勝手に報道した,勝手に世間が話題にしたっていう感じ?←個人的印象。)米英首脳は電話で話をして,決意した。そして9月3日に選挙区での記者会見で,知っていることを明らかにした。なぜそれを重大視したのか。情報があったからである。情報を明らかにせよと言われた。だから情報を開示した。

02年9月の書類のバックグラウンドが首相の口から語られたことになります。あたかも,私たちの意思ではなく,世間の求めに応じたのだと言っているかのようです。(実際そう言いたいんでしょう。)

この時期に何があったかは,毎日新聞さんの特集のバックナンバーで一覧できます。米国では中間選挙をにらんで共和党ががんばっていました。

こちらさんで,当時の英国の様子がレポートされていますが,これもまた興味深い。アフガン攻撃の「成功」が,イラク攻撃への賛成の気運を高めるのに寄与した,との分析です。

どうやら「タリバーンが敗走した」と捉えられていたようです……うそみたいなほんとの話。マスコミの言うことを信じるしかない一般大衆ならわかりますが,名のある学者とか政治家とかまでそれですか。「東洋の黄色いサルは組織的に抵抗することはできない」式の人種偏見がそんなに根強いんでしょうか。

なお,現在,「タリバーンが(カブールから)敗走した」=「米英が勝った」というのは真実ではないということは明らかです。悪のタリバーン帝国は滅び,平和が訪れた……ではないわけで。爆撃も続いていて,死者も増えている。政権放棄を「敗走」としか解釈できないとすれば,何と直線的思考回路であることか。英国の保守系新聞とかに寄稿する知識人ってそんなもんでしたか?

ともあれ,世の中がそういうふうだったとしたら,今になって保守党などが「騙された」と堂々と言いきるのもわかる。

長いのでこの辺で。

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posted by nofrills at 16:05| todays_news_from_uk/about_Blair | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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