2005年09月27日

メイズ/ロング・ケッシュ刑務所跡をカメラを手に見学した人たちによる記録。

ベルファストからわずか9マイル,アントリムのリスバーンに位置するメイズ刑務所(「メイズ」はアイリッシュ・リパブリカン的には「ロング・ケッシュ」)は,2000年9月に閉鎖されて以来,5年間野ざらしにされてきた。

そのメイズ/ロング・ケッシュ刑務所が,この9月に一般に公開される(ただし限られた範囲で)というニュースは,8月にどこかで読んでいたと思う。(9月といえば,ロンドンでもLondon Open Houseというイベントがあり,普段はなかなか内部を見学できない歴史的建築物が公開される。)

その一般公開に参加したブロガーさんが,撮影した写真をflickrにアップしている(220枚以上)。
記事:http://nothing-less.net/の9月26日記事
写真:http://flickr.com/photos/stillburning/sets/1001973/

昨年もロンドンのフォトグラファーズ・ギャラリーで「マグナム」所属の写真家, Donovan Wylieの撮影した写真の展覧会が行われたが(→そのときのNew Statesman記事),今回flickrにアップされた写真は,ワイリー氏の展覧会のときにオンラインで見ることのできた写真より被写体との距離感が近く,自分自身がその建物の中を歩いている気分とまでは言わないが,かなりじわじわと来る。

撮影者のstill burningさんがflickrの写真を二次著作物作成可のクリエイティヴ・コモンズ・ライセンスで公開なさっているので,220枚以上の中から4枚,切り抜いて並べてみたのが↓。

maze_1.jpg
*pictures taken by Still Burning

※still burningさんのほかに,a11susさんも160枚くらいflickrにアップされているが,こちらはccライセンスではない。
http://flickr.com/photos/a11sus/sets/998455/上の画像の4コマは:

上列左(オリジナル)=刑務所のフェンスというフェンスにつけられている有刺鉄線。Still Burningさんは「こんなに大量の有刺鉄線を見たことはない」と書いている。

上列右(オリジナル)=刑務所のインフォメーション・ボード。収容されている人の所属する組織ごとに分けられていることが確認できる(H3棟はリパブリカン/ナショナリスト棟で,PIRAブロックが3つとINLAブロックが1つ。右上のH4棟はロイヤリスト/ユニオニスト棟で,UVFとUDA,それから文字が消えかけているがLVFと読める文字もオリジナルにはある。)

下列左(オリジナル)=かのHブロック第4棟内部の廊下,何重もの鉄柵の扉の鍵。

下列右(オリジナル)=刑務所入り繰り近くに掲げられている旗は,ここがユニオニストの地域であることを示す(→参考)。

閉鎖されてから5年間野ざらしにされてきた刑務所は,どこもかしこも朽ちてきているけれど,マシンガンの銃座がついたままの見張り塔につけられたサーチライトは1990年製だ。

古い時代のカマボコ型のバラックが崩壊寸前なのはともかく,1970年代に建設されたHブロック(建物の形がHの形をしているためこう呼ばれる)も傷みがひどく,今回の訪問でも「危険なため」に立ち入り禁止になっていたところが多かったようだ。

というわけでこれは「刑務所の廃墟」なのだが,やたらと生々しい。ゴミ箱がゴミでいっぱいになっていたり,窓枠のところにスティックのりが置き忘れられていたり,お部屋の芳香剤が置かれていたり(Still Burningさんは「よほどひどいにおいだったのだろう」と書いているが,実際1つの窓に3つも4つも置かれていたらそうとしか考えられないよね)。

娯楽室にはビリヤードの台が置かれていたりする。(メイズは囚人による管理が行われていた。)

コントロール・ルームからは,テレビモニタ(監視カメラの映像の)や電話などは,切断したワイヤの跡も生々しく,外されて運び出されているが,中には残されていったものもある。古いコンピュータはそのまま,電話も1台そのまま……。

一方でキッチンにはなぜか,電気湯沸し(英国でよくあるジャー型のあれ)が残されている。

運動場の壁には,手書きのサッカーゴールが残されている。(イタリアの有名サッカークラブとメキシコのゲリラが試合を?とかいうドリームマッチな話があったが,どうせならIRAもINLAもどんなもんかね?「伝統的な4−2−4のシステムではなく、1−1−1−1−1−1−1−1−1−1というめちゃくちゃなシステム」でも対応できるのではないかと思うが。)

ツアーは管理棟から病院棟,H4棟,運動場,チャペル(各宗派が曜日・時間ごとに使っていたらしい),古いコンパウンド(カマボコ型)と回ったようだ。

病院棟の独房(メンタル・ディスオーダーの囚人が入れられるところ)の写真は,ちょっとねー,これはきっつい。

H4棟の独房の写真は……非常に狭い。Still BurningさんによるBefore the reforms of 1994, prisoners would have spent 23 hours a day inside these cells.(1994年の改革までは,囚人たちはこういう独房の中で1日のうち23時間を過ごしていた)とある。

写真ごとにつけられているメモ(キャプション)が細かくて非常に参考になる。監視カメラが使い物にならないようにするために,囚人が鳩を飼っていた(ふんや羽でカメラが役に立たなくなる),とか,トレーニング・ルームができるまでは囚人はほうきの柄にバケツをくくりつけて運動していたとか,ダブリンの刑務所でヘリによる脱獄があって以来,メイズ刑務所では上にワイヤーを張るようにしたとか。

そして,このフェンスと有刺鉄線ばかりの刑務所は,たくさんのゲートがあり,すべてのゲートにごっつい鍵がつけられているのだが,そのゲートが閉められていても,「もはや施錠はされていない」。

「施錠はされていない」なんて,淡々と,事実をそのまま飾りなく描写しているだけなのだが,何か重いんだよね。

この刑務所は極めてシンボリックな場所だ――1971年に開始されたinternmentの「デメトリウス作戦」で,容疑なく身柄拘束されたナショナリスト(カトリック系)の人たち数百人が放り込まれた場所であり,70年代後半にはいわゆる「ダーティ・プロテスト」が行われた場所であり,1980年と81年のハンストが行われた場所であり(81年にはボビー・サンズら10人が,死ぬまでハンストをやった),1984年には38人が脱走という出来事が起きた場所である。1997年にはロイヤリストの超過激派LVFのリーダーが,リパブリカンの超過激派INLAメンバーに殺された(どちらもこの刑務所で服役していた)。

1998年には,先ごろ死去したモー・モーラム大臣が,ロイヤリストのテロ組織の幹部に和平賛成を説得するために,この刑務所を突然訪問した。この対話がベルファスト合意(グッドフライデー合意)への道を開いたもののひとつだったことは疑いない。

これだけの「歴史の舞台」となってきた場所だが,2000年に閉鎖されてからは放置されてきた。何事も保存したがる英国人(笑)のわりにはここは保存はせず取り壊して,360エーカーという広大な跡地(東京ドーム何個分かは知らない)を再開発・再利用することになっている。どうやら多目的スポーツスタジアムになるらしい。(紛争研究センターとかいう案もあったはずだが。)

建物のドアとか,ブロックごとの仕切りのフェンスに作られた扉とかに,私が「バークレイズ銀行の青」として英国について最初に頭に入れた色であるターコイズ系の明るいブルーが使われている。この色は,ロンドンの劇場外のスタッフ出入り口とかでもよく見かけた。
posted by nofrills at 19:33| todays_news_from_uk/northern_ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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