2004年02月07日

平家物語:「なくなく首をぞかいてんげる」

中学のときだったと思う。「国語」の教科書に『平家物語』が載っていた。その中にあった一節を,どういうわけか今でも覚えている。
なくなく首をぞかいてんげる
「敦盛の最期」である。『平家物語』は口で伝えられてきたもので,細かい部分で表記がいろいろあると中学のときに聞いたが,こちらさんではなるほど,「なくなくくびをぞかいてげる」と「ん」がない形だ。

中学のとき,「古文」なんてめんどくさい,役にも立たないし,と思っていた。『平家』の前に授業で取り上げられた『徒然草』は,話はそれなりにおもしろかったけど(「仁和寺」だったと思う。小僧さんが「えい」と返事したことだけ覚えている),「古文」の馴染みのなさは私にとって壁だった。『枕』に至っては「春はあけぼの,やうやう白くなりゆく山ぎは少しあかりて……」の暗記テストで苦悶した,という記憶しかない。(だって内容がつまんなかったんだもーん。)

そんなだったから「敦盛の最期」も楽しく読んだわけではない。なのに,今だに「なくなく首をぞかいてんげる」だけは覚えている。「かいてんげる」の語呂が忘れられないせいだと思う。「かいてんげる」には脚注がつけられていて,この「かく」は「かゆいところをかく」以外の意味だということを知った。

ストーリーは確か,源氏の武将が若者を見つけて名前を聞いたが答えてくれず,取っ組み合いになっておさえつけてみるとまだものすごく若く,助けたいと思ったけれど,若者が「切れ」と言うので泣く泣く首を切った,というものだったように思う。

……ということを,さっき駅前を歩いてて思い出していた。

記憶が違っているといけないので,検索してみた。こちらさんに「あらすじ」がまとめられている。(便利な世の中だなぁ。)

それを読んで,私が覚えていなかったことを,そういえばそうだったな,と思い出した。

若者の首を泣く泣く掻き切った源氏の武将は,首のなくなった若者(敦盛)の腰に差されていた笛を見つけ,朝方に聞こえてきた妙なる笛の音を奏でていたのは,自分が首を切ったばかりの若者であったことに気付く。

首からはまだ血が滴っていたであろう。源氏の武将の手にしている首の重さは,いかばかりに感じられたであろう。

笛を見つける直前,源氏の武将はこう言っている。
あはれゆみやとるみほどくちをしかりけることはなし。ぶげいのいへにうまれずは、なにしにただいまかかるうきめをばみるべき。(引用元
【漢字混ぜました→】あはれ、弓矢取る身ほど口惜しかりけることはなし。武芸の家に生まれずは、なにしにただ今かかる憂き目をば見るべき。


さらに,こちらさんの「あらすじ」を読んで,記憶違いに気付いた。

源氏の武将は,背後に味方の軍勢が迫ってくるのを見て,「どうせこの若者が助からないのであればいっそこの手で討ち取り,ねんごろに供養しよう」と思い,若者を手にかけた,のだった。

背後の味方に気付く直前,源氏の武将は,「首を切れ」と言う若者の親のことを,自分のこととして案じる。
けさいちのたににて、わがこのこじらうがうすでおうたるをだにも、なほざねはこころぐるしくおもふに、このとの(のちち)、うたれたまひぬとききたまひて、さこそはなげきかなしみたまはんずらめ。たすけまゐらせん。(引用元
【漢字混ぜました→】今朝一の谷にて、我が子の小次郎が薄手負うたるをだにも、直実は心苦しく思うに、この殿(の父)、討たれ給ひぬと聞き給ひて、さこそは嘆き悲しみ給はんずらめ。助け参らせん。


『平家物語』は「祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響きあり……」の「盛者必衰の理」があまりに有名だから,「栄華を誇った平家の衰亡」という“大きな物語”と考えていたのだけど,実は“小さな物語”――敦盛の笛,直実の息子など――の集積なのだろう。だからこそ,琵琶法師によって長く長く口で伝えられて人々の間で生きてきたのだろう。

しかし,日本人たる私は,『平家物語』を読むのに大変に苦労するのだ。日本語なのに。
posted by nofrills at 01:27| quote | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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