2004年09月15日

ハイファ・ストリート 2004年9月12日

『ファルージャ 2004年4月』のウェブログとの二重投稿です。http://teanotwar.blogtribe.org/ではこの他,ほぼ毎日複数の記事を取り上げています。
--------------12日にハイファ・ストリートでの米軍の攻撃で負傷したGの記事です。最初に流血写真(死体と負傷者)があるので,この手の写真が苦手な方はブラウザの設定で「画像を表示しない」にしてからリロードしてください。この下に数行置いてすぐ写真が出るようにしてあります。

状況から考えて,この写真を撮影したG自身が頭から血をたらたら流していたか,あるいは応急処置を終えて頭にシャツか何かをぐるぐる巻きにしてたか,だと思います。

#「G」は,2003年6〜9月にG in Baghdadの名前でウェブログをやってたバグダード・ブロガー。Salam Paxのお友達で,今はサラームとは仕事上のパートナー。詳細はここにある記事に書いてあります。

'He's just sleeping, I kept telling myself'
Tuesday September 14, 2004
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/
0,2763,1303827,00.html


記事ヘッダー部分:
12日日曜日,米軍ヘリが非武装の市民を攻撃し,イラク人13人が殺され,数十人が負傷した。(ガーディアン別冊の)G2に寄稿しているGhaith Abdul-Ahadもこの攻撃で負傷した。彼が惨劇の現場を伝える。

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写真キャプション:
バグダード,ハイファ・ストリートでのイラク人死者と負傷者。米軍ヘリの攻撃後。Photo: Ghaith Abdul-Ahad/Getty Images

記事本文:
日曜の早朝の電話で,それは始まった。「ハイファ・ストリートで大きな煙の柱が立ってる」。まだ目が覚めきっていない状態で私はジーンズを履き,こんな早朝にしでかしてくれる反乱者たちに罵りの言葉をつぶやいた。もしこのままベッドに戻ったら,と私は思った。私が現場に到着するまでには終わっているだろう。駐車場でふと,フラックジャケットを車に乗せてないことに気付いたが,おそらくはただのIED(improvised explosive device:爆発する仕掛けをしたもの)がハンヴィーの下に置かれていた程度だろうと考え,どうせすぐに家に帰ってくることになるのだからいいや,と思った。

ハイファ・ストリートへ向かう途中,私はどうかすべて終わっていますように,あるいは米軍が一帯を封鎖していますように,と祈る気持ちだった。私はまだナジャフのショックから立ち直っていないのだ。

ハイファ・ストリートはサダム・フセインによって1980年代早くに建設された。バグダードを近代的にする計画の一環だった。長く幅の広い大通りで,両側にソヴィエト風の高層建築が並んでいる。それがカーテンの役割をして,バグダードで最も貧しく最もタフな人々の暮らす小さな路地の入り組んだ辺りを見えなくしている。これらの人々の多くは,スンニ・トライアングルのど真ん中の出身だ。

現地に到着すると,数百人の子どもや若者が煙のほうに向かっていた。「急げよ,もう燃え始めてから随分経ってるぞ!」と誰かが叫んだ。私はカメラをつかんで走り始めた。

50メートルほどのところまできたところで,2〜3回爆発音が聞こえた。最初の煙の柱がまだ立っているところと道路を挟んだ地点で,また土ぼこりが巻き起こっていた。人々が波になって私の方に走り始めた。オレンジ色のオーバーオールを着た男性が,人々が走っている中を,通りを掃除していた。上空を飛ぶ数台のヘリが向きを変えた。私は道から少しひっこんだところにある商店の前庭に飛びこんだ。私を含め10人くらいが前庭の壁に隠れた。「あれはサウンド・ボム(sound bomb)だな」と,私のすぐそばに顔のある男性が言った。

数秒後,人々が金切り声をあげ,叫んでいるのが聞こえた――何かがあったに違いない。私は壁に身を隠しながら,音のした方に向かった。2人の報道機関の写真家が反対方向に走っていった。目と目を交わした。

前方20メートルのところに,米軍のブラッドレー装甲車両が見えた。中から火柱を立てる巨大なモンスターだ。それはぽつんと立っていた。ドアは開いていたが燃えていた。私は足を止め,何枚か写真を撮って,たくさんの人がいる方へと道路を渡った。何人かは道路に倒れていた。他の人たちは倒れた人々の周りに立っていた。ヘリの音はまだしていた。だが,かなり遠ざかっていた。

どうにも落ち着かなかった。通りのど真ん中に身をさらしていた。だが多くの市民たちが私の周りにいた。10人ほどが5人の怪我人の周りをぐるりと囲んでいた。みな金切り声を上げ,うめいていた。ひとりの男性が怪我人のひとりを見て,頭と胸を叩いた。「まさかお前か? 弟か?」彼は怪我人の方に手を伸ばそうとはしなかった。ただ立って,血に染まった弟さんの顔を見つめていた。

ひとりの男性がぽつんと座っていた。血まみれだった。彼は辺りを見まわして,その光景に驚いていた。彼のTシャツは破れ,背中から血が流れていた。2人の男性が意識のない少年をひきずっていた。少年は片方の脚の下半分を失っていた。切断された脚の下,道路の上に,血とクリーム状の液体がたまっていた。少年のもう片方の脚にはひどい裂傷があった。

2〜3分,私はそこに立って写真を撮影していた。そのとき,ヘリが戻ってくる音がした。みなが走り始めた。私はあれらの怪我人たちに何が起きているのかを見るために振り返ることはしなかった。私たちはみな,同じ場所に向かって走っていた。フェンスへ,建物へ,タバコの売店として使われているプレハブのコンクリートの立方体へと。

立方体の端にたどり着いたとき,2度の爆発音を聞いた。熱い空気が私の顔に吹きつけるのを感じ,頭の上で何かが燃えているのを感じた。私は立方体まで這って進み,その陰に隠れた。幅2メートルほどのスペースに,全部で6人がひしめき合っていた。血がカメラに滴り始めたが,考えられることといえば,どうすればレンズを汚さずにすむかということだけだった。私の隣にいた40代の男性は泣いていた。彼は怪我はしていなかった。ただ泣いていた。私は恐くなり,ただ壁に体を押しつけたくなった。ヘリは頭上を旋回していた。私は,やつらは俺たちを直接撃ってきているんだと気付いた。透明人間になりたかった。誰か他の人々の下に隠れたかった。

ヘリが少し遠くに離れると,ここにいた人々のうちの2人が近くの建物へと走っていった。私はその場に留まった。そこには若い男性がひとりいた。おそらく20代になったところだろう,革のブーツを履き,トラックスーツを着ていた。彼は地面に座っていた。両脚を投げ出していたが,彼の膝は外側に向かって不自然に折れ曲がっていた。彼は(道路の)角に目を凝らしたが,彼の座っている土の上へと血が流れていた。私は彼の写真を撮り始めた。彼は私を見て,そして頭の向きを変えて通りの方を見た。まるで何かを探しているかのように。彼の目はしっかりと開かれ,じっと見続けていた。

通りでは怪我人が放置されていた。顔が血まみれになった若い男性が,土ぼこりのもうもうと立つ中に座っていたが,顔を下に倒れこんだ。

立方体の後ろでは,また別の2人がいたが,彼らは知り合いだった。

「最近どう?」私の近くにいたほうの男性が訊いた。彼は立方体の壁によりかかって,携帯電話を取りだそうとしていた。

「よくはないね」と相手が言った。青いTシャツを着た若い男性だ。フェンスによりかかっている。彼は腕を組んでいたが,腕の肉が一部こそげ落ちていて,骨がのぞいていた。

「車を出してここまで来てくれないか,怪我をしているんだ」と青のTシャツの男性の友達が携帯電話に向かって言っていた。

一方,膝が曲がってしまった男性は,かすかな音を立てているだけだった。私はあまりに恐くて,その男性に触れたくなかった。私は自分自身にこの人は大丈夫だ,叫び声を上げていないじゃないか,と言い聞かせ続けていた。

電話を持った男性を助けることにした。彼は叫び声を上げていた。私は彼の着ていたTシャツを割いて,頭の裂傷をしばりつけるようにと言った。だが私は恐かった。何かをしたかったのだけれど,できなかった。私は昔習った応急処置法を思い出そうとした。けれども現にやっていることといえば,シャッターを切ることだけだった。

膝の曲がった男性の方に向き直った。彼の頭は歩道の縁石に乗っていた。目は開いていたが,あのかすかな音を立てているだけだった。私は彼に声をかけ始めた。「心配するな,大丈夫,大丈夫だからな。」彼の後ろから私は通りの真ん中を見た。そこには5人の怪我人がまだ倒れていた。そのうちの3人はお互いにほとんど重なり合っていた。そして白いディシュダーシャを着た少年が,数メートル離れて倒れていた。

重なり合っていた3人のうちの1人が頭を上げ,周囲を見まわした。通りに誰もいないのに驚いた表情をしていた。それから彼は前方にいる少年を見,後ろを見て,また地平線に目をやった。それから彼はゆっくりと頭を地面へと動かし始め,そして腕の上に頭を乗せ,何か目に映るものに向かって両手を伸ばした。これはさっき胸を叩いていた人だった。弟さんを助けようとしていた人だった。彼は助けたかったのだが,誰も助けなかった。この人はそこで,私の目の前で,死んでいこうとしている。時間など存在しなくなっていた。通りは誰もおらず静まりかえっていて,そこに倒れている人々はみな死につつあった。彼はずるりと地面に倒れ,5分後には地面にべったりと横たわっていた。

私は身をかがめて,彼らのいる方へと動いた。彼らはまるで,誰もいない通りの真ん中で抱き合って眠っている人々のようだった。私はディシュダーシャを着た少年の写真を撮影しに行った。眠っているだけだ,私は自分にそう言い聞かせた。起こしたくはないからな。脚を切断された少年もそこにいた。さっき彼を引っ張っていた人たちに置いて行かれたのだ。米軍の戦車はまだ燃えていた。

子どもたちがまた通りに出てきた。死者や負傷者を興味深げに見つめている。そのとき誰かが「ヘリだ!」と叫んだ。私たちは走った。向きを変えると,2機の小型ヘリが見えた。黒く邪悪なヘリ。恐怖にかられ,私はシェルターに走って戻り,そこでまた大きな爆発音を2度耳にした。通りの突き当たりでは,オレンジ色のオーバーオールの男性がまだ道路掃除をしていた。

膝の曲がった男性はもう意識がなかった。顔はべったりと縁石に乗せられていた。子どもたちがやってきて「死んでるよ」と言った。私は彼らに向かって叫んだ。「何てことを言うんだ!まだ生きてるじゃないか!恐がらせるな。」私はその人に大丈夫ですかと声をかけた。しかし彼は答えなかった。

私たちは膝の曲がった人,携帯電話の人,青いVネックのTシャツの人を子どもたちが構うままにしておいた。彼らはみなもう意識がなくなっていた。私たちは彼らをそこで置き去りにして死なせた。私は誰かを運ぼうとすらしなかった。単に自分の身かわいさで走って逃げた。私はビルの入り口にたどり着いた。そのとき私の腕を誰かがつかんで中に入れた。「怪我人がいるんだ。写真を撮れ。世界にアメリカのデモクラシーを見せてやれ」とその人は言った。真っ暗な中,廊下にひとりの男性が横たわっていて,誰かが包帯を巻いていた。

他の人たちが私に,このビルにはもうひとりジャーナリストがいるといった。彼らは地下へと続く階段に私を連れていった。地下にはロイターのカメラマンがいた。ぽっちゃり型の陽気な人だ。頭の横にカメラをかかえて横たわっていた。彼は叫び声はあげていなかったが,目には痛そうな表情が浮かんでいた。

ロイターに電話をするために彼の名前を思い出そうとしてみたができなかった。彼は友人だ。私たちは何ヶ月も一緒に仕事をしてきた。どの記者会見でも彼の姿を見た。なのにどうしても名前が思い出せない。

そうしているうちに救急車が到着した。私は通りに駆け出した。他の人たちも隠れていた場所から出てきた。みな負傷した市民を救急車に運ぼうとしていた。

「だめです,こちらの方は亡くなってます」と運転手が言う。「どなたか他の方を。」

救急車は怪我人を乗せて去り,私たちは解散した。心の中でこう考えていた――米国は救急車は撃たないだろうが,私たちには撃ってくるだろう。こういう場面は何度か繰り返された。救急車の音を耳にするたびに通りに出て,そして救急車が行ってしまうとまた隠れるのだ。

昨日,オフィスで仕事をしていたら,私の写真を見ていたもうひとりのフォトグラファーが叫び声を上げた。「きみが写真を撮影したときにはアルアラビヤのジャーナリストは生きていたんだね!」

「アルアラビヤのジャーナリストは見かけてないけど。」

彼はVネックのTシャツの人の写真を指差した。これが彼だったのだ。彼は死んだ。私と一緒に小さなスペースに隠れていた人たちは全員死んだ。

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記事はここまで
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以下はGの写真です。クリックすると見本(ウォーターマーク入り)が見られます。流血写真が苦手な方は見ない方がよさそうです。
1)白いディシュダーシャの少年
2)路上でほとんど折り重なるように倒れている3人
3)路上でほとんど折り重なるように倒れている3人のところに人が
4)茫然と辺りを見回す男と,倒れている人々
5)崩れ落ちた4の男と身を起こした少年
6)何かに手を伸ばす4の男
7)力尽きた4の男
8)青いVネックを着た男……アルアラビヤの記者です。この後亡くなりました。
9)真っ暗な廊下の怪我人(だと思う)
10)廊下の怪我人と付き添っている男
11)子ども
12)G(怪我の応急手当をしてある)

この日のハイファ・ストリートの写真は,Getty Imagesのこのページで見られると思います。Ghaithのほか,Wathiq Khuzaieというフォトグラファーの撮影した写真と併せて30枚。

言わずもがなですが,これらの写真に写っている人たちの中に,カラシニコフを持っている人もいないし,手製のロケットランチャーなどを持っている人もいない。

これは犯罪です。

Ghaithは14日の警察署自動車爆弾も撮影していて,その写真もGetty ImagesのサイトでGhaith Abdul-AhadとBaghdad Car Bomb Kills 47 Outside Police Stationで検索すれば見られます。

警察署の爆弾では嘆き悲しむ人々の中に女性が多くいるのに対し,ブラッドリー襲撃&米軍ヘリからの爆撃の写真では,女性はまったく写っていないようです。おそらく単に,表に出られる状態ではなかったのでしょう。(上空をずっとヘリが飛んでいて,いつ撃ってくるかわからない状態。)

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■追記(16日):
http://teanotwar.blogtribe.org/にこの記事のフォローアップを投稿してあります。
posted by nofrills at 09:51| voices_from_iraq | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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