2004年02月19日

War Requiem

昨年の秋に1本の映画を見た。制作されて14年も経ってから日本で公開された映画で,私は英国に旅行に行った時にたまたまテレビで放映されていたのを見ている。その映画を見たのは,ロンドンの建てこんだエリアにあるB&Bの部屋で,私の記憶にある限りロンドンの建てこんだエリアにあるB&Bの客室のテレビというものは画像が鮮明であることはめったになく,したがってその映画も,極めて粒子の粗い,時々大きく歪む映像で見た。

だから昨秋の日本での公開は,その映画をまともな映像で見る初めての機会であり,同時に字幕のおかげで内容を把握する初めての機会だった。

14年前の映画のメッセージはそのまま生きていて,そのまま2003年の出来事に対するメッセージに思えた。映画を作った人は,このメッセージが21世紀になっても生きていることを望んでいただろうか? 予期はしていたかもしれない。しかし,望んでいただろうか?

映画はWar Requiem,1989年の作品である。

上記公式サイトの入り口のフラッシュより:
「私の悲しみは残り,それは今消されなければならない」


「字幕のおかげで」と書いたのは,私は普通の会話なら何とか字幕なしでも理解できるにしても,歌,それもオペラになっている英語は,内容理解ができるほどには聞き取れないからだ。でも,この映画の場合は文字による情報はさほど重要ではないのかもしれない。言語として「何を語っているか」がつかめなくても,人物たちに何が起き,彼らがどう感じているのかは字幕なしでもわかる。台詞ではなく音楽という形式に乗せられ,映像を伴って,メッセージは伝わってくる。

映画『ウォー・レクイエムWar Requiem』は,ベンジャミン・ブリテン(Benjamin Britten)がラテン語の典礼文とウィルフレッド・オーウェン(Wilfred Owen)のことばを織り交ぜた詩に曲をつけた「戦争鎮魂歌(War Requiem)」を,デレク・ジャーマン(Derek Jarman)が映像化したものである。

ブリテンの「戦争鎮魂歌」が発表されたのは1962年。1940年,第二次大戦のいわゆる「バトル・オブ・ブリテン」で破壊されたコヴェントリー大聖堂の再建がなり(「再建」と言っても隣り合った敷地に新たに建設されたもの。廃墟となった旧大聖堂は廃墟のまま保存されている:写真と解説),その記念式典で発表された。神と戦死者に捧げられたこのオペラは,戦死者をたたえるものではない。

「戦争鎮魂歌」の詞より(出典):
Then, when much blood had clogged their chariot-wheels
I would go up and wash them from sweet wells,
Even from wells we sunk too deep for war,
Even from the sweetest wells that ever were.
I am the enemy you killed, my friend.
I knew you in this dark; for so you frowned
Yesterday through me as you jabbed and killed.
I parried; but my hands were loath and cold.
Let us sleep now..."

※詩(poetry)は私には荷が重すぎて日本語にはできません。


ウィルフレッド・オーウェンは,第一次世界大戦に英軍兵士として従軍し,兵営で夜毎詩を書いた。戦争の中に身を置き,おそらくは武器を手にしながら,オーウェンは戦争を批判することばを書き続けた。そして1918年,第一次世界大戦の終結の1週間前に戦死した。

第一次大戦の休戦記念日は現在の英国ではRemembrance Dayと呼ばれ,赤いポピーをシンボルとして,毎年11月11日に近い日曜日に式典が行われる。昨年の式典ではブレア首相もどのツラ下げて献花している。(参考。)

ロンドンには「帝国戦争博物館 Imperial War Museum」というものがある。ロンドンにあるこの博物館に私はどうにも行く気になれぬままでいるのだが,ひとつ興味深い事実は,この博物館の建物は,かつては精神病院であったということである。知人の知人である80歳を過ぎた女性(第二次大戦のロンドン空襲/空爆も記憶にあるという)が語るには,「昔も今も狂気が入居している建物」だ。

ことばも音楽も映像も,建物さえも,何かを物語る。私は目の前にあるあれやこれやを複雑に絡み合わせて,頭の中に立体を描こうとしている。そしてことばというもので何かを書こうとしている。

この映画を製作したデレク・ジャーマンの最後の作品では,画面は具体的には何も語らず,ただ経過する時間の分だけ発せられる青の光だった。映像で伝えることを続けてきた映像作家は,最後に具体的な映像を離れた。時間によって描こうとしたのかもしれないと私は青の光を見ながら考えた。

今日は2004年2月19日。デレク・ジャーマンが死んでからちょうど10年が経過した。

……ということをここ1週間何となく考えていたら,不思議なもので,BBCで2件もカラヴァッジオについてのニュースを見た。(ハンプトン・コートの目立たない作品がカラヴァッジオの作品と判明という記事と,アイルランドのナショナル・ギャラリーの「カラヴァッジオの」作品についての記事。)

■参照した資料など:
- Benjamin Britten, War Requiem(Caltechの a research project about Britten)

- the Guardian記事(2003年10月に英国で演奏されたときの音楽評。エドワード・サイードに捧げられたそうです。)

- 昨年カナダなどでブリテン生誕90周年記念行事があったようです。

■補記:
欧州における第一次大戦の意味は,かつて私が「世界史」で年号やだいたいの経緯を習って想像していたよりもずっと大きなものである。自分の手で直接触れなくても,“敵”を,それもたくさんの“敵”を瞬時に殺すことのできる兵器が,人が生活したり居住したりしてきた場所で大規模に用いられたこの戦争は,大きな傷を残した。欧州の詩人(具体的に誰だったのかは失念)が友人に宛てて書き送った手紙を何かの折りにどこかで読んだが,大規模な破壊と殺戮がその詩人に与えた衝撃の大きさは,「1914年,セルビアの皇太子が暗殺され……」といった教科書の記述からはとてもうかがえるものではなかった。
posted by nofrills at 23:10| i_dont_think_i_am_a_pacifist/words_at_war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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