2005年07月21日

訃報:サー・エドワード・ヒース(英国元首相)

テッド・ヒース死去は,報道のあった当日(18日)に知っていたのだけど,ばたばたしていたので今頃になって記事を書く。

Former PM Sir Edward Heath dies
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/4691051.stmテッド・ヒースは1970年〜74年に英国の首相だった。私はリアルタイムでは知らない。私が最初に覚えた英国の首相は,ヒースの次の次の次のサッチャーだ。(当時は「首相が女の人」というだけで一発で覚えた。)

所属政党は保守党。ヒースの前はハロルド・ウィルソン(労働党)。ヒースの後もウィルソン。その後はキャラハン(労働党:今年3月に死去)。その後がサッチャー(保守党)。

この,労働党→保守党→労働党→保守党の政権交代。これだけでも60年代から70年代の英国はかなり激動だったんだなあ,と思えるだろう。

ちなみに,ピストルズのAnarchy in the UKがリリースされたのが76年。

キャラハンの後はサッチャーが長く,次も保守党のメイジャーで,その次がブレア,そして現在に至る。私が学校で習った「英国の二大政党制」は,60年代(いや,もうちょっと前か)〜70年代のことをベースにしていたんだと思う。(19世紀のではなく。)

ともあれウィキペディア。
http://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Heath

サー・エドワードは,私が読んだ日本語の記事(訃報記事)では,「英国をEC(当時)に加盟させた」ということが大きな功績として書かれていたが,ま,それは置いといて。

1970年から74年というと,ブリテン島の軍隊がアイルランド島北部(北アイルランド)に出向いていった時期が含まれる。1972年1月30日のいわゆるBloody Sundayと,その後行なわれたインクワイアリーも,ヒースが首相のとき。(このインクワイアリーは内容がデタラメだった。たとえばスナイパーに射殺された「IRAのテロリスト」は,日曜日に教会に行くためのスーツを着て手ぶらだった。)

"I believe that Bloody Sunday was the thing that fuelled the IRA. It led to the campaign of violence which we had here for many years and Edward Heath was the prime minister when that happened.
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--Former SDLP Stormont MP Ivan Cooper, BBC NEWS


実際,13人が射殺されたこの事件の後,IRAに入る人が増えたという,当時を知るデリーの人たちの証言があります。

# 「テロ」の根は貧困だ,というのは厳密にはごまかしでしかないということは,英国はよくわかってるはずなんだけどね。

その後,北アイルランドの直接統治が開始。その後,サニングデール合意。パワーシェアリング。ユニオニスト(<用語がややこしいけど,「組合」のユニオンではなく,「英国と一体である状態」のユニオン)のストライキ。。。この頃の「ユニオニスト」と言えばUUP。(DUPではなく。)

これについては,書くとすれば,もうちょっといろいろ落ち着いてから。

とりあえず,北アイルランドとヒース首相についての記事:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/
northern_ireland/4692189.stm


なお,ヒースの後に首相になった(返り咲きっていっていいのかな)ウィルソンは,1974年のユニオニストのストライキについてこう述べている。
In May 1974 he condemned the unionist-controlled Ulster Workers' Strike as a "sectarian strike" which was "being done for sectarian purposes having no relation to this century but only to the seventeenth century". However he refused to pressure a reluctant British Army to face down the unionist paramilitaries who were intimidating utility workers. In a later television speech he referred to the "loyalist" strikers and their supporters as "spongers" who expected Britain to pay for their lifestyles. The strike was eventually successful in collapsing the power-sharing Northern Ireland executive, prompting Idi Amin to telegram Wilson, offering to host a peace conference in Uganda.


「20世紀ではなく17世紀の宗派的目的のために行なわれた,宗派的ストライキである」(17世紀=クロムウェル時代=「カトリックは殺せ」の時代)っていうのが,何だか今読むとアレですわね。いや,「自爆者は自由を否定し7世紀に戻そうとしている」など,思い出せるものがいくつかあるので。

そしてそのストライキが,サニングデール合意を潰した。

それにしても最後がすごいなあ,このパラグラフ。ウガンダ(1962年に英国から独立)のアミン大統領が「和平会談はうちでどうぞ」と電報を送ったのか。。。知らなかった。(アミン大統領はアントニオ猪木と試合をしそうになった元ボクサーでもあるが,この人に「和平はうちで」と言われるってのもどうかという感じ。何十万人と殺しているんだから。)

Sir Edward Heath, KG, MBE
(9 July 1916 – 17 July 2005)
posted by nofrills at 20:51| todays_news_from_uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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