2003年09月26日

本日何度も読み返した一節。

[George Orwell, "Anti-Semitism in Britain", 1945 より]
On the Palestine issue, too, it was DE RIGUEUR among enlightened people to accept the Jewish case as proved and avoid examining the claims of the Arabs--a decision which might be correct on its own merits, but which was adopted primarily because the Jews were in trouble and it was felt that one must not criticise them.
ざくっと日本語にしてみると(辞書ひいてない=いいかげん):
パレスチナ問題についてもまた,ユダヤ人の言い分を正当として受け入れ,アラブ人の言い分を仔細に検討しないことが,教養ある人々の間ではファッショナブルなのである。これは本質的に正しいことかもしれないが,そもそもこれが受け入れられているのは,ユダヤ人は困難な状況にあるのだから,彼らを非難してはならないと感じられているためである。

オーウェルがこう書いてから58年。ナチス・ドイツによるホロコースト(ショアー)は現実にあったことだが,だからといってパレスチナが無視されていてよいわけではない。

そもそも英国は立場が微妙である。オスマン帝国支配下のパレスチナの地にユダヤ人国家のイスラエルを作ることを約束したのは英国で,同時にアラブ人にはオスマン(トルコ民族)からの独立を約束した。(このへんはアラビアのロレンスで知られる通り。)

ところが,オーウェルが書いているこの感覚は,どういうわけかグローバル・スタンダードみたいになっている。

「私たちはあんなに辛い目に遭ったのに,あなた方は味方してくれないのですか。」

「私たちを悪く言うんですね。あなたは敵の味方ですね。」

昨日だったか,北朝鮮代表の国連総会での発言がテレビで伝えられた。「私たちは日本によって100年にわたり植民地化され,蹂躙され続けた。日本によって苦しめられた朝鮮の人の数は何百万である。私たちが数人の日本人を拉致したからといって何だというのだ。」(←記憶に頼っています。)

問い:上の2例の相違点を述べよ。


暴力の連鎖1=「私は殴られて育ちました。とても辛かったです。だから私には他人を殴る権利があると思います。」

暴力の連鎖2=「ジャイアンのやつぅ,いつもボクのマンガ取るなんて許せない。ジャイアンがああいうことをしていいんだったら,ボクもしていいんだ。今度デキスギからマンガ取ってやる。」

今日読んだサイード追悼記事にあったエピソード。

テレビのトーク番組に出演したサイードは同じく出演していた人物から「サイード教授はイスラエルを非難している。その立場はテロリストであると言っても過言ではない」と暴言を浴びせられた。その発言後,番組の司会者はサイードを「テロリスト」呼ばわりした。

この異常性。やはり“自由と民主主義の国”にはついていけない。なぜならば,自由でも民主主義でもないものに“自由と民主主義”のレッテルを貼っただけのものを
“自由と民主主義”だと信じることが要求されるように思われるから。

この記事の一番上にリンクしてあるオーウェルの文章はとにかく必読。

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追記(トラックバック):11月18日
「飯田橋事務日記」さんのエントリ,「衝撃のリトアニア 1.ユダヤ人収容所にて」(2003年11月17日)
posted by nofrills at 22:32| todays_news_from_uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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