2005年04月21日

マーラが死んだ。自動車爆弾で。

マーラ・ルジカが死んだ。バグダードで死んだ。

月曜の深夜、というか火曜の早朝と呼ぶべき時間帯に、Raed blogでそのことを知った。

マーラ・ルジカについては知らない人が多いだろう。アメリカ人。女性。28歳。透けるような金髪。白い肌。細い身体。笑顔。

彼女は、国際社会によって爆撃されたアフガニスタンで、ほとんど単身で、民間人犠牲者についての調査と彼らの生活や医療の支援・損害賠償支援を行なった。

その後、バグダード陥落後のイラクに入り、現地の人々と協力して組織だった犠牲者調査を実行した。その成果は、ウェブ上で閲覧することができる。

途方もない行動力を備えた彼女のことを、「人権活動家」と呼ぶことはたやすい。しかし、彼女は私にとって「人権活動家」であるだけではない。

多くのことを考えさせてくれた人だ。

面識はない。メールのやり取りをしたこともない。しかし私は、彼女とのつながりを感じていたし、今でも感じている。マーラが死んだことを伝える、在バグダードの英国人のウェブログの記述は日本語にしておいた。
http://teanotwar.blogspot.com/2005/04/marla-ruzicka-1976-2005.html

なお、このエントリへのコメントは、↑の記事を読み、さらにこの下の記述を読んで、なおかつ人間一般・戦争一般を語ろうとしないもののみ、お受けすることとしたい。なぜなら私はあまりに静かに激昂していて、言葉を受け止める気になどなれないからだ。あと、通り一遍のお悔やみの言葉などコメントに投稿されていたら、誰の投稿であれ削除する。そんなものは私は自分のテリトリーで見たくはないからだ。私個人を語らせようとするコメントもお断りする。

白人、アメリカ人、女性、「紛争で命を落とした支援活動家」――イスラエルのブルドーザーに轢き殺されたレイチェル・コリーとの共通点を見つけることは、たやすい。

けれどもレイチェルとは異なり、マーラを殺したのは、「不法に占領している側の途方もない武力」ではない。

「不法に占領された側の破れかぶれの自爆」だ。

マーラは、定期的に訪問しているイラク人家族を訪れるために、バグダードのエアポート・ロードを、イラク人スタッフの運転する車で走行していた。

同じときに同じ場所を、米軍をサポートする私営セキュリティ企業の車両が走行していた。

自動車爆弾はそれを標的にして突っ込んだ。だが爆弾の爆発に巻き込まれ炎上したのは、マーラの車であって、ターゲットではなかった。

英インディペンデントの記事によると、燃える車から米軍のメディックに引っ張り出されたとき、マーラはまだ生きていた。かすかに意識もあった。

搬送される途中でマーラは死んだ。運転していたイラク人スタッフも死んだ。フランス人(詳細不明)も死んだ。

爆弾を積んだ車を運転していた人ももちろん死んだだろう。

BBCでは記事にすらなっていないanother car bombで死んだマーラたち。

私はこのような攻撃を「テロ」と呼ぶことを肯定していない。しかしそれを支持しているわけではない。私はこれらの攻撃を、極めてIRA的な用語を借りて「武装闘争」と認識し、そしてそれを肯定しない。

むろん、これらの「暴力」をずっと上回る(規模の面でも、違法の度合いの面でも)「国家による暴力」が、イラクには、そして国際法には加えられ続けていて、そのことを考える場合、こういった「武装闘争」はどうしても過小評価されがちだ。

逆に、「国家による暴力」を考えない、考えさせまいとする側が、こういった「武装闘争」を過大評価することも多い。「イラクのテロリストは一般市民をたくさん殺しているではないか。米軍は一般市民を殺そうとして殺しているわけではない」といったように。(この“主張”が正しいかどうかは、別途検証が必要である。)

どちらが優先順位の上とか下とかではなく、「国家による暴力」も「武装闘争」も、同じく非難されねばならないはずだけれども、おそろしいのは、「武装闘争」がある=イノセントな人々がたくさん殺されている=何とかしなければ=「国家による暴力」で解決しよう、という思考のようなものが、あることだ。そして、「武装闘争」→「国家による暴力」→「武装闘争」……に「暴力の連鎖」というキャッチフレーズをつけて、「先行きは不透明です」といった言い方で語ることだ。まるで私はそれには関係はないのだが、といわんばかりの。

上の段の、「武装闘争」を「エスニック・クレンジング」に、「国家による暴力」を「NATOによる空爆」に置き換えれば、ユーゴ空爆を正当化した“論理”なのだが。

ともあれ、マーラ・ルジカは死んだ。自動車爆弾に殺された。「国家による暴力」に反対し、自分にできることとして、その暴力の犠牲となった人々がどのような犠牲を払ったのかを具体的に調査していたマーラが死んだ。

武力行使で実際に被害を受け犠牲を出さされている人々の側(そば)に立ち、犠牲者ひとりひとりに顔と名前と性別と年齢と住所と職業とをつける作業をし、“殺された”人の家族への損害賠償のための予算を米国の議会から取り付けたマーラ・ルジカは、彼女を標的としていたわけではない爆弾のために死んだ。

こういうときに私は何をすればいい?

泣くのか?

泣けるか、クソったれ。

誰かを非難するのか?

非難してどうなる。っつか、非難することができればある意味「楽」だよね。全面的に支持できれば「楽」なのと同じように。

マーラは何を望んでいるだろう。何を望んでいただろう。

ひとつの死。またひとつの死。

Marla Ruzicka, activist, born December 31 1976; died April 16 2005

※マーラについて知りたい人は、上にある名前で検索を。訊かれても私は答えません。
posted by nofrills at 03:51| i_dont_think_i_am_a_pacifist/words_at_war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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