"Engrish"というのは、"English"の変種である。主に東アジアで多く目撃されている。日本も多発地帯のひとつである。というか、engrish.comでは、Engrishのことを、「日本の広告やプロダクト・デザインにおいて見られるおもしろい英語の間違い(the humorous English mistakes that appear in Japanese advertising and product design)」と定義している。
Engrishとは、字面の通り、そもそも「L」と「R」の区別をしない/区別ができないことから発しているのだと思うが(→参考資料としてMonty Python:LとRをすべて逆転させてある)、engrish.comではそれに象徴される、「おもしろい英語の間違い」全般を、"Engrish"である、と定義している。
というわけで……WE PRODUCE IT FOR WHOLE HUMAN BEINGSなる壮大な文言の印刷されたタグのついた、100均ショップの商品(ウレタンフォームを使った袋)や、各種まったく意味不明の擬似英語、すなわちEngrishの印刷された文房具、および看板など、ただのスペルミス(this is wollying learry... i mean, worrying really)から、なぜそのようなことをいちいち書かねばならないのか理解できない上に変な英語になっているものまで、多様なEngrishが、frickl... flickrにも集積されているのである。すなわち、Engrish groupである。
その魅力に抗うことができず、ネイティヴ・日本語・スピーカーにして、自身も多少のEngrishを生産している身でありながら生意気にも、私もそのグループに参加することにしてみた。
だっておもしろいんだもん。
何がおもしろいのか。
まずひとつには、「言われてみればそれはどう表すのだろう」ということを考えることがおもしろい。例えば、「人生の中で、最も大切な時間を過ごせる場所」は、英語で何と表せばいいのか。(少なくとも、こんなふうに「直訳」したらコロケーションが無茶苦茶ってことはわかるけれど、じゃあ自分で書けと言われたらどうするのか、ということ。)
そして、それよりも大きなおもしろさとして、「言語/ことば」というものを考えること。すなわち、あれらは「言語/ことば」であるのか否か。
Engrishのことを考えはじめると、何も意味しない言語は果たして「言語」なのかどうか、という壮大にしてかつ曖昧模糊、カオティックでファジーな問題にぶち当たる。
「言語/ことば」とは何か――「思想・感情・意志などを互いに伝達し合うための社会的に一定した組織をもつ、音声による記号とその体系。また、それによって伝達し合う行為。」はたまた「意味。理性。ロゴス。」(<極めて西洋的なものを敢えて持ってきた。)
果たしてあれらは「言語/ことば」であるのか。あれらは「思想・感情・意志など」を「伝達」しているのか。「意味」があるのか。
ああいうものがなぜ存在しているかというと――just in my opinion, and I mean no offence――「何となくかっこいいから」であって、何かを伝えることを目的としているわけではない。メッセージはない。つまり空洞。
「英語なら何となくサマになるから」という程度で付け加えられている「メッセージ不在のことば」。
そんなもの、最初から書かなければいいのにと思う一方で、私はネイティヴ・ジャパニーズだから、ああいうものをくっつけたくなる気持ちはわからなくもない。
ただ単に、「日本語で書くわけにはいかない」から、英語。(それがフランス語でもアラビア語でもないのはなぜだろう?)
英語の文字列を並べておけば、「何かそれっぽく」見えるから、という理由。
いやね、原則として、日本語で書いてかっこ悪いことなら、英語で書いてもかっこ悪いよ。少なくとも、内容的には。
内容がないからこそ、ああいう文字列があちこちに印刷されるのであって、ということだから、こうなると何をどうすればどこがどうなるのかもわからなくなるのだけど。カオティック。
しかしね、かっこよくしたいのなら、文法・語法としてマトモな英語を使うことはもちろんのこと、その上で、頭韻を踏ませるとか、クリシェをもじるとか、そういうことは必要じゃないか、みたいなことは考えるわけです。それが「英語」であることを意図するのであれば。
ただ、そういう案出すと、「わかりにくいから」という理由で却下されることとかもあるんだよね。難しい単語を使ってなくても。
そもそもメッセージを持たない、装飾あるいはアイ・キャッチが目的の文字列で、「わかりにくい」ことは、そんなに否定的なことだろうか。
っつかそこにそれらを印刷することによって、結局のところ、何をやりたいんだ、という。
いやね、真面目な話、「英語ペラペラ」の“神話”とか、「ネイティヴみたいに」の“信仰”とか、まあ、いろいろ直面しているわけですよ。その一方で、中途半端な、あってもなくても本質的には何も変わらない何かが生み出されていくことを、黙って見ているしかない。
「言語」ってのは、「表現」のためのツール(<乱暴な言い方)であって、飾りじゃないのよ。
と言いつつ、別に怒っているわけではなく、ニヤニヤしつつ、Engrishを見つめているのです。
■関連書籍:
『英語キャッチコピーのおもしろさ』
この本、非常におもしろいです。1970年代くらいの、英国の広告文を素材として、そのツボを説明。