2006年06月15日

「暴力」の持つ意味――「マンチェスター爆弾テロ」に関連して

ちょうど10年目を迎えた「マンチェスター爆弾テロ」だが、この事件が街にとってどういう意味を持つか――10年目にあたって、BBCなどでも記事が上がっている。

Bomb 10 years on: Where were you?
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/manchester/5036034.stm

あのとき、マンチェスターの反応は複雑なものだった。ひとことで言えば、"Why Us?"。マンチェスターにはアイリッシュが多い。マンチェスターは19世紀の産業革命期の工業都市として大きくなった。工場の労働者は「英国各地」からやってきた人々で、その中には当時「英国」の一部だったアイルランドからの「移民」が多く含まれている。(19世紀半ばのいわゆる「じゃがいも飢饉」――これは英国が武力を用いてアイルランド人から食物を奪ったジェノサイドであるという説得力のある主張もあるのだが、慣例的に「飢饉」としておく――の前に、すでにマンチェスターの人口の1割が、アイリッシュだったという。)そんなわけで、マンチェスターにはアイリッシュが多い。「アイルランドの完全独立(United Ireland)」を支持する人たちも、もちろん多い。確か、ユナイテッド・アイリッシュメンとのつながりもある。

ちなみに、「マンチェスターのアイルランド人」には著名な人も多い。以下に挙げる人々の政治的スタンスははっきり知ってるわけではないが、簡単に列挙しておくと、音楽の分野では、Oasis(ギャラガー兄弟)をはじめモリッシーやらジョニー・マーやらフィル・リノットやらとにかく大勢、ほかにも例えばテリー・イーグルトンも郊外のアイリッシュ・エリアの出身だ。(イーグルトンには、皮肉と冗談で「アイルランドなるもの」を語る極めて批評的なThe Truth About the Irishという著作がある。日本語版あり。もちろんこれを「主著」とは言わない。笑)(イーグルトンのこの著作はうっかり「英国的」と言いたくなるんだけど、実はそれは必ずしも「英国的」ではない、というひねりがある点も私にはおもしろい。)

私も、そんなにダイレクトにではないけど、偶然の重なりで、この事件のことをわりと生々しく思っている。

1999年、欧州チャンピオンズリーグを制したマンチェスター・ユナイテッドが、トヨタカップのために日本に来た。私は友人たちと都内のアイリッシュ・パブでトヨタカップの試合を見ていたのだが、「おっしゃー」な結果で試合が終わったあとしばらくダラダラ過ごしてそろそろ帰るべというとき、店のドアのあたりから、がやがやと声が聞こえてきた――マンチェスター弁が。教えてもらわんでも、あれはサポご一行様だ。勝ち試合で楽しく過ごせるからあとしばらくいるべぇ、と私たちは帰るのを取りやめたが、ドア近くで「何でまた、『アイリッシュ』パブなんだ」とマンチェスター弁でつぶやいて固まっている男性と私は1対1になってしまった(目が合った)。私は状況を適切に判断した。すなわち、「東京は、こういうスタイルのお店で十分に大きなところは少ない。それに、Britishの店があってもディプロマットやビジネスマン御用達、だからポッシュだし、無駄に高い」ということを、淡々と、なおかつposhに侮蔑を込めるようにして説明し、ちょっとニヤリを勝ち取ったところで、既に店に入っていたその男性のお友達が「こも〜ん (Come on)」と彼を連れにきた。男性は店に入り、あとは楽しく過ごしていたと思う。(あの夜の店内は、ひたすら「めでたいめでたい」だった。QueenのWe are the Championsを何度聴かされ合唱させられたことか。)

あの男性のあの反応はもっともなものだ。あのとき、1996年の爆弾からまだ3年半しか経っていなかった。実際にはあの爆弾では結果的に誰も命を落とさなかったけれども、爆発のひどさを写真で見れば、それはあくまで「結果的に」でしかないことがわかる。それほどの規模の破壊だった。(写真とかはさっきの記事にリンクあり。)あれだけの爆弾を仕掛けておいて(IRA語ではこれを「プレゼントする」と言う)「殺すつもりはなかった」とは言えない。

なお、マンチェスターではその前にも3件の爆弾事件があった。96年3月の国会の記録文書に、死者・負傷者を出していない爆弾も含めた年表(1980〜96年2月)がある。この年表で、manchesterでページ内検索で確認できる。中でも92年12月には負傷者64名(あるいは65名)と、PIRAがイングランドで暴れまくっていた92年だけで見たときにシティ爆弾テロ(2月、死者3名、負傷者91名)に次ぐ規模の爆弾テロが起きている。(シティのは、IRAの「停戦破棄」の行動である。)

(社会的に「ベッカム様」になる前の)ベッカムやキーン親分のいたマンUがCLを制し、「世界一決定戦」のトヨタカップが日本で行われ、私が友人たちとその試合をパブで観戦し、そして、マンUサポご一行様のツアーをプランした人がたまたまその同じパブをブッキングしていたという偶然の重なりで、私は、「あの暴力」にさらされた人と、一瞬であれ、1対1になった。これがなければ私はこういう「暴力」について真剣に考えてみることをしていなかったかもしれない。(IRAは「一握りの凶悪な連中」ではあるが、歴史的背景を知れば知るほど、その「凶悪」さは、例えば東京で化学テロを起こした集団とは別なところから発していることがわかる。)

1996年6月15日の爆弾テロというのは、私にとってはこんな意味を持つ。

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IRAのテロ事件@イングランドについては、昨年7月にこのブログに書きました。
http://ch.kitaguni.tv/u/917/todays_news_from_uk/07july2005/0000243565.html

ただし北アイルランド絡みの「テロ」は、IRA(PIRA, RIRA, CIRA, OIRA)の専売特許ではありません(<日本語が古いな)。IRA同様、ナショナリスト/カトリック側のINLAも、IRAほどではないかもしれないけど、数々の「テロ」を行ってきたし、また彼らとは反対側、つまりユニオニスト/プロテスタント側も、UDA, UFF, UVF, LVFなど、いくつものロイヤリストの組織が、リパブリカンを標的に、あるいはイノセントな民間人を巻き込んだ「テロ」を行ってきました。ロイヤリスト側には治安当局との癒着がありました。(例えば、治安当局が超法規的に誰かを殺したいときに、ロイヤリストのガンマンを使った。)ただしイングランドで「攻撃」を行ったのは、PIRAとRIRAだけです。それゆえ、PIRAやRIRAの「テロ」は大きく報じられる、ということです。
posted by nofrills at 23:38| todays_news_from_uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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