2005年08月20日

訃報:Mo Mowlam, former Northern Ireland Secretary〜北アイルランド和平合意を実現させた政治家

19日,モー・モーラムが亡くなった。自宅で倒れて病院に搬送され,意識が戻らぬまま他界した。生命維持装置を外されて3日目の死だったそうだ。享年55。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/4126986.stm
http://politics.guardian.co.uk/politicsobituaries/story/0,1441,1552387,00.html

NIのユニオニスト政党PUP党首,David Ervineの追悼の言葉より:
Here was a woman who was no slave to convention.


以前労働党の党首をつとめていたニール・キノックは,モー・モーラムのことを"She was one hell of a woman"(「とんでもない女傑」とか「烈女」とかそんな感じでしょうか……)と評している。

彼女の語録より:
http://politics.guardian.co.uk/politicsobituaries/story/0,1441,1552395,00.html
"You bloody well get on and do it. Otherwise I'll head-butt you."
To Gerry Adams
_
"Fuck off."
To Ian Paisley in 1997
彼女に「動きやがれ,動かなかったら頭突きくれてやる」(<意訳)と言われたジェリー・アダムズ,および「ふぁっく・おふ」と言われたイアン・ペイズリーに関しては,……特にペイズリーについてはそういう言葉をいただくのも当……おっと。(^^;)

モーの生命がもうほとんど望みがない状態だということは,6日にロビン・クックが急死した後に私が読んだ記事のひとつに書かれていた。そこには「危篤だが容態は安定している」と書かれていて,それは生命維持のための何らかの措置がされたと解釈してほぼ間違いない。

彼女は,筋道をつける上で自分が非常に大きな役割を果たした北アイルランド和平が本当に実現するのを見ることなく,この世を去るのだろうと私は思った。

そしてそうなった。

北アイルランドでは,確かに,最大の武装勢力のひとつであるPIRAが武装闘争終結宣言を行なった。しかしその後,背景は私にはよくわからないのだが,今度はロイヤリスト側の武装勢力同士の襲撃合戦が段々ひどくなっている*1

その最中でモーは死んだ。

1997年,グッド・フライデー合意の前年に成立した第一次ブレア内閣で,モーは北アイルランド大臣に任命された。そしてナショナリスト(カトリック系)の“穏健派”であるSDLPのみならず,“過激派”のシン・フェインとも対話を行なった。ロイヤリスト(プロテスタント系)との対話も,一部は拒否られて実現しなかったにせよ,行なった。そして,グッド・フライデー合意を実現させた。

北アイルランド和平への道筋は,1993年には開始されていた。まずは武装勢力の停戦(SDLPとシン・フェインとの対話などが行なわれ,94年8月にはIRAが停戦を宣言した),それから交渉。それから武装勢力の活動再開(96年2月,ロンドンで3件IRAの爆弾が爆発したのを皮切りに,同年6月のマンチェスター爆弾テロなど)と再度の停戦(97年)――このあたりは,英国の政権交代(保守党から労働党へ)やらNIの政界地図やら米国やら何やら,いくつかのファクターが背後にある話で,ここでは極限まで単純化しておく。(参考:Wikipedia

この和平への筋道を一気に推し進めた原動力が,第一次ブレア政権でNI大臣となったモーだったのだ。彼女はシン・フェイン/PIRAの「大義」を「テロ」の原動力とすることを止めることに成功した。NIを,単純な二項対立の世界ではないと示すことに成功した。

彼女は前任者の保守党の大臣とは違って(<当たり前だが),あたくしは大臣様ざます的態度を徹底して身辺から排除し,あたしのことはモーと呼んでね(呼び捨てにしてね)と人々に言い,マーティン・マクギネス(元IRA義勇兵の政治家)をも含めた人々を"babe"と呼び,死んだIRAメンバーを追悼する白い百合を身につけ,同時にシン・フェイン幹部の車に盗聴器を仕掛けるよう指示した。メイズ(ロング・ケッシュ)刑務所に収監されているユニオニスト活動家と対話し,彼らが和平から離脱することを防いだ。(以上,BBC記事より。)

http://news.bbc.co.uk/1/hi/northern_ireland/4165230.stm
↑この記事にあるピーター・ヘイン(現在のNI大臣)の談話によると,モーは,先日のIRA(PIRA)のステートメントは聞いていた。

彼女の胸のうちにあった「近い将来の北アイルランド」はどんなだったんだろう。少なくとも,観光客がどかどか押し寄せてくる表面的な「経済繁栄」を謳歌するベルファスト,だけではあるまい。

この記事(すぐ上のURLの記事)にある,DUPのJeffrey Donaldsonの談話:
I suppose we in Northern Ireland had been used to secretaries of state who sometimes adopted a very patrician, almost colonial style, approach to Northern Ireland - a kind of governor approach.
_
And yet here was someone who had a very different style - very laid back, very easy manner, easy to talk to.


DUPのジェフリー・ドナルドソン(元UUPだが)! 椅子を蹴倒して合意にあっかんべーをしたこの人が,彼女をNI大臣の職から去らせるよう英国政府側に強く要求していたユニオニストのひとりであるこの人が,物事をこういうふうに捉えているなどとは。いや,おそらく,モーが支配者の権威を持ち込まなかったことが,グッドフライデー合意に大きく寄与したことだけは間違いないのだ。そしてこの合意が,いわば「ナショナリスト側の未来予想図」であることもおそらく間違いない。予想図が現実となるには何十年,何百年とかかるかもしれないけれども。

(上記URLはNI政界からの追悼コメント集。ただしイアン・ペイズリーは,モーの死に際しても,いつもの調子から比べればおとなしいものの,本質的には同じことを言っているだけで,これはペイズリーがペイズリーである以上は仕方がないのだろう。)(シン・フェインのマクギネスにしたところで同じである。DUPとSFのこれが,いかに人々を呆れさせ遠ざけていることか。)

Life in pictures: Mo Mowlam
http://news.bbc.co.uk/1/hi/in_pictures/4742349.stm
「労働党のマドンナ議員」だったころ,「ブレアの盟友」だったころ,ジョン・ヒュームとジェリー・アダムズと並んで座って楽しそうに談笑しているところ,1998年の合意の数ヵ月後にRIRAがどかんとやったOmaghの爆弾爆発現場(一般市民が29人死んだ)を歩いているところ,学生時代の笑顔(美人!)など,9枚の写真が並べられている。

最近の多くの写真において,モーの頭髪は抜け落ちているが,それは彼女が脳腫瘍の治療を受けていたからである――副作用で髪が抜けてしまったのだ。死の前に自宅で倒れたのも,脳内の悪性腫瘍に対する治療の結果,バランス感覚を失っていたことが原因だそうだ(おそらく,脳の中でバランスをつかさどる部分が,腫瘍にやられて機能を失っていたのだろう)。

この脳腫瘍のためもあって,彼女は2001年総選挙の際に政界を引退せざるを得なかった――病気のせいであった以上に,彼女はブレアから切られたのだが(1999年,NI大臣から降ろされたモーの後任として選ばれたのは,ピーター・マンデルソンだった。表向きは「辞任」だったようだが)。

このあたり,ガーディアンがまとめた彼女の語録を読むと,何だか「小泉と真紀子」みたいな感じだ。党大会で彼女が客席から自発的な(=演出家の指示によらない)ものすごいスタンディング・オベーションを受けたことが,ブレアとマンデルソンらに危機感を抱かせたから,彼女は切られた,なんていう説もある。

モーは政界引退後,ブレアの外交政策を批判し続けた。2003年2月,当時史上最大規模を記録したロンドンのデモStop the War Coalition)でも,彼女は演台に立った
Tony Blair and the government have put themselves into a right corner. There is a position now ... that if a country has a lot of people killed from poverty and military dictatorship, if that number is smaller than that killed by war then the war is OK. That to me is totally illogical.
Mo Mowlam


2004年8月,今からおよそ1年前,地元テレビに出演した彼女は,「アル=カーイダと対話すべき」と主張した。地元テレビでね。彼女の露出はほとんどなくなっていたのだ,大事な時期に。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/3611805.stm
Last Updated: Thursday, 8 April, 2004, 16:09 GMT 17:09 UK
*記事概要:
 日曜日に放映されるテレビ・インタビューで,モー・モーラム元NI大臣は,対テロ戦争を「まったく非生産的だ」とし,英米両政府はオサマ・ビン=ラディンとアル=カーイダとの対話を開始すべきと主張している。
 米英は,イラクでの軍事行動を遂行することによって,「テロリストのためのリクルート役」を務めているのだ,と彼女は述べた。
 「アル=カーイダやオサマ・ビン=ラディンが交渉のテーブルにやってくることは想像できるか」と問われ,モーラムは「それをしなければならない。それをしなければ,世界の大部分は永遠の戦争に突入することになる。ジェリー・アダムズやマーティン・マクギネスが交渉のテーブルに着くなどありえないと言う人々もいたが,アダムズもマクギネスもそうしたではないか」と答えた。
 これに対し,LibDemの外交スポークスマンであるSir Menzies Campbellは「彼らの意図は我々の暮らす自由の価値観を破壊することである。そんな相手と交渉するなど」と批判している。


北アイルランド問題は,解決にはまだまだ遠い(そもそも「解決」などありうるのかという気もするが)。いわゆる「北アイルランド問題」が仮に解決されたとしても,その後には新たな「問題」が「問題」となるだろう。けれども,少なくとも,暴力についてsectarianという口実を表からなくしたことは――「テロ」と定義されうるものをなくしたであろう(それもびみょーではあるが)ことは――,労働党政権による政治の功績であり,中でも,モー・モーラムというひとりの女性政治家が存在していたからだと思う。

合掌。55歳は死ぬには早すぎるし,彼女が政治の表舞台から消えたのも早すぎたとしか言いようがない。

The Right Honourable Marjorie "Mo" Mowlam
September 18, 1949 - August 19, 2005
http://en.wikipedia.org/wiki/Mo_Mowlam

Slugger O'tooleの記事には多くの報道記事がリンクされている。またコメント欄も各種の立場からの意見がしっかり書かれていて,NI関連にはいつものことだが,下手な報道記事よりよほど中身が濃い。(同時に,パーソナルでもある。NIについては「客観的で不偏不党の事実の記述」は,ほとんど成立しえないと私はつくづく思う。例えば彼らが「入植者」でないにせよ,彼らが「入植者のように振舞っている」――クロムウェルを引用しつつ――ことは事実だが,それをそう書くこと自体に「立場」が発生してしまう。)

※ガーディアンのウェブ版では,Politicsのところに特設サイトを設けている。新聞としてのオビチュアリなどのほか,彼女の友人たちの記事,ピーター・マンデルソンの美辞麗句などが読める。

--
*1:
例えば,17/08/2005付けの"Loyalist turf war claims lives in NI"というニュースフィルムをBBCの映像検索結果から参照されたい。レポーターが「まさか21世紀のUKでこのような光景がNIからのニュースとして流されるとは」ということを言っているが,本当にこれは,INLAとかが暴れていたころの資料映像じゃないんですか,っていう映像が含まれている。2分程度のフィルムで,ある程度恣意的な編集であることは確かだが,NIに関心がある人は必見。

--
■追記:
http://www.conflictsforum.com/ という英国のNPO(紛争当事者の対話を促す活動をしている)の設立者で会長であるAlastair Crookeという人の記事を,先月だったかな?いくつか立て続けに読みました。そのときのメモを,「“テロリスト”との対話」というコンテクストで,ここにアップしておきます。

It is essential to talk to the 'terrorists'
Alastair Crooke
Friday December 10, 2004
http://www.guardian.co.uk/comment/story/0,,1370708,00.html

From conflict to politics
As Hamas and Hizbullah find success at the ballot box, strident calls
are heard for them to disarm. This is unreasonable
Alastair Crooke
Thursday July 28, 2005
http://www.guardian.co.uk/comment/story/0,,1537370,00.html

2つ目の記事はhttp://www.dawn.com/2005/07/29/int16.htmでも読めます。(the Dawnはパキスタンの英字紙)

Alastair Crookeさんは元英国諜報機関員(MI5かMI6かはわからない)。http://www.conflictsforum.com/ はCrookeさんの他にアカデミックもいれば元SAS(英軍特殊部隊)もいるという陣容です。

--
■追記2:
確かにMo MowlamはNew Labourを作ったひとりだった。その点から,Old Labourからの批判もなくはない。しかし私は,97年のNew Labourにはここ日本からかなりの希望を感じていた(私はソーシャリストではないのでブレアが党を変えたことには何ら抵抗はなかったし,むしろこれはすごいことになりそうだと思っていた。「バンビ」だったブレアのナルシストぶりは最初から何かきしょいと思っていたが)。98年のグッドフライデー合意のときは「ついに!」と本当に思った。

私がNew Labourなるものに幻滅したのは,2000年に実際に渡英して,ただの金満都市にしか見えないロンドンを目の当たりにしたからである――保守党の「invest どこそこ」とどこが違うんだ,と。New Labourの理想の未来図とこれはかけ離れているのではないか,と思った。

そしてその幻滅は,1999年のコソヴォ爆撃,および2001年9月以降のブレアの対テロ戦争と,対テロ戦争を正当化するための「あのテロとこのテロ」理論(IRAとアル=カーイダの,無理のある差別化)で,怒りを通り越して嫌悪にまでなった。

Old Labourの政治家のうち何人かは,対テロ戦争についてしごくまっとうなことを言っていた(レッド・ケン,トニー・ベン,そしてゴージャス・ジョージの3人を筆頭に)。しかしNew Labourでしごくまっとうなことを言っていたのは,平議員の何人かを除いては,モー・モーラムだけだったと思う。(ブレア内閣の“反戦派”のロビン・クックとクレア・ショートは,コソヴォへの軍事介入と同じく多国間合意という形式を求めていただけだ。コソヴォがどうなってしまったか――安易なナショナリズムに陥り,人心が疲弊し荒廃し,コソヴォ解放軍なる民兵組織にはアメリカの全面的支援が与えられ,セルビア人が悪魔化された。そういったことは,「国際的支持を取り付ければ」という“反戦派”にとってはまったくの埒外だったように私は記憶している。)

いずれにせよ,97年のブレア政権発足時に閣僚だったロビン・クック,モー・モーラムの2人が立て続けに他界したことは,偶然とはいえ,ある種シンボリックな感じを与えずにはいないだろう。
posted by nofrills at 19:43| todays_news_from_uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。