2005年03月11日

マスハドフの死の意味すること。

チェチェン共和国のアスラン・マスハドフがロシア連邦軍に殺害された(→過去記事)ことについて,サウジアラビアの英語メディアArab Newsの社説。マスハードフ殺害については世界のいろいろな国や地域の英語メディアでは大変大きな扱いがされており(日本の報道を見ていると考えられないくらいに大きく――たとえて言えば昨年3月のヤシン師殺害と同じくらいの扱いです),各メディアで論説記事が出ていますが,いくつか読んだ中で,語彙とかの面で日本語化が楽そうなアラブ・ニュースを選びました。

英国のメディア(BBC,ガーディアン,テレグラフ・・・あと今回はエコノミストも読んだ)でも,語気の強さなどはかなり違うものも多くありますが,基本的には同じような論調です。(「和平を望んでいた穏健派を殺害した」ことへの非難は共通しています。)

なお,そのまま訳したのではわかりづらい箇所は,適宜年号を補うなどしてあります。〔  〕で表します。(年号を調べるために,「チェチェン総合情報」さんの「人名ノート」を参照しました。)

また,原文は1段落が長くて,そのままだとブラウザでは読みづらいので,適宜改行を入れました。

---------------------------------------
社説:マスハードフ後
Editorial: After Maskhadov
10 March 2005
http://www.arabnews.com/?page=7§ion=0&article=60227&d=10&m=3&y=2005

火曜日にチェチェンのアスラン・マスハードフ元大統領を殺害したことについて,ウラジミール・プーチン大統領とその政府が,テロリズムに対する大きな勝利であると歓喜の声を上げることは至極当然のことである。しかし,そのような見方はロシアからの見方である。今回のことは,ロシアの外では,さらに数千人単位のチェチェン人およびロシア人への死刑宣告がマスハードフの血によって署名されたのだ,と受け取られている。

マスハードフはチェチェンで選挙で選ばれた唯一の大統領であり,ある程度の地位のある独立派の指導者で,チェチェンの苦しみを終わらせるのは暴力ではなく交渉である,と常に主張していたのは,マスハードフだけだった。このような判断をするために,マスハードフは他の人々のほとんどよりも優れた条件を備えていた。

1994年から96年の独立戦争で,チェチェン軍はロシア軍を撤退させたが,その際にチェチェン軍を率いていたのがマスハードフであった。かつてはロシア軍で高い地位に就いていたマスハードフは,94年から96年の独立戦争での勝利は,次にどうすべきかをほとんどわかっていないエリツィン政権に指揮されていた,組織という点でもモラルという点でもなっていないロシア軍を相手とするものだからこそ,得られたものであるとわかっていた。

〔1996年4月に〕ドゥダーエフ大統領が殺害されると,〔97年1月に〕マスハードフが後継として選挙で選出された。ロシアはその事実〔=チェチェン共和国の独立〕を公式に認めていなかったが,それは事実上独立した国家の大統領選出であった。

〔1999年に〕エリツィン政権でウラジミール・プーチンが首相に就任し,その後〔2000年に〕エリツィンに代わって大統領となると,事態は一変した。ロシアの新指導者は当初からチェチェンの反乱を暴力で押さえつけた。それは彼の政治的力強さ(virility)の象徴であり,ロシアの有権者に対し,私は多くの有権者が待ち望む堅忍不抜の強い男なのだと示すための行動だった。

ロシアがマスハードフの首に1000万ドルの賞金をかけたことは,戦闘の継続はチェチェンの人々にとって何も解決しないということを認識していた唯一の敵(opponent)を滅ぼすことはそれだけの価値のあることである,とプーチンがいかに深く信じていたかの反映である。

プーチンが向かい合うべき敵とは,殺害されたマスハードフよりむしろ,マスハードフの政治的ライバルであったシャミール・バサーエフだ。バサーエフはスランでの学校攻撃やモスクワでの劇場占拠といった大惨事の首謀者である。一般のロシア人は彼の残虐さと政治的な過激主義に嫌悪の念を抱いており,バサーエフの破滅を望んでいる。

しかしいまや,この争いがこの先も継続することは不可避で,プーチンは今後も自身の根性と強さを示し続ける――強い男は交渉などしない――のが当然の帰結と思われる情勢だ。

死亡する1週間前,マスハードフは外国のラジオ局記者に対し,プーチンと30分向かい合って話すことができれば,紛争が終結することができるだろう,と語っていた。クレムリンがマスハードフのことをテロリストと位置づけており,クレムリンはテロリストと位置づけられた人物とは話をしない以上は,そのような機会は訪れるはずがないということは,当然,マスハードフはわかっていた。それでも,マスハードフが生きている限りは,ロシアの要職者が彼に手を差し伸べて平和的解決法を模索してゆき,この紛争が終結する可能性も生じていたチャンスは,常に存在していたのである。

ロシアの人々は,無視されているのでなければ,いてもいなくても同じなのか。ロシアの人々は,ものすごい勢いの電撃爆撃よりも,消耗戦の非常な苦しみのことをずっとよく理解している。現在の政治的情勢では,チェチェンの独立を踏み潰すための作戦についてロシア人の血で払う代償が膨らみ続けようと金銭での費用がかさみ続けようと,プーチンは選挙で手痛い目にあうことはまったく恐れる必要がない。和平の危険/和平という危険(danger of peace)の見込みは,一切なくなったのである。
----------------------------------------

ほんとはエコノミスト(英経済誌)の社説を日本語にしようと思ったのですが,アラブニュースの方がとりあえずやりやすかったのでこっちをやりました。エコノミストのも余裕があれば。。。
posted by nofrills at 21:57| todays_news_from_uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。